三重県松阪市殿町(まつさかし とのまち)には、松坂城跡(まつさかじょう あと)があります。
立派な石垣がずっと気になっていたので、一度行ってみたいと思っていました。
ということで、松坂城跡を巡ってきました。
ただ鈴屋(すずのや)のある本居宣長記念館(もとおりのりなが きねんかん)は、残念ながら休館日でした。

松坂城跡へ表門跡から入って、遠見櫓跡と月見櫓跡とを巡りました。
鐘ノ櫓跡と藤見櫓跡


さて月見櫓跡から分岐点まで戻ってきたら、目の前に現れた石段で鐘ノ櫓跡に登ってみました。
櫓に吊るされた鐘を叩いて、異常事態を城内に知らせる場所だったのでしょうか。


石垣の続きにある藤見櫓跡も見に行きました。
ゴールデンウィークになると、あたりの藤の花が見ごろを迎えるのでしょうか。

藤見櫓跡の地面には、ほかの櫓跡では見られなかった、礎石らしき石が長方形に並べられていました。
石と石との間隔が狭すぎるような気がするので、もしかすると縁石かも知れません。
角櫓跡の見晴台


石段まで戻るのも面倒なので、藤見櫓跡からは石垣の上を歩いて行きました。
眼下には松阪公園グラウンドが、その向こう側には自動車を停めた松阪市駐車場が見えます。
松阪公園グラウンドは、ネーミングライツ契約が結ばれると愛称が変わります。

ということで、曲がりくねった石垣の上を歩いていくと、角櫓跡に着きました。
石垣が怖くなるほど高かったので、ホッと胸をなでおろします。


角櫓跡には、松坂城跡を守る会の方が設置された、色鮮やかな眺望画が設置されていました。
天気が良ければ素晴らしい景色が望めたのでしょうが、残念ながら山やまは灰色の雲に覆われています。
松坂城天守跡と敵見櫓跡


さて角櫓跡からはきたい丸跡を通り抜けて、天守跡へと続く段だんを登っていきました。
段だんが崩れているため何とか登れますが、一段いちだんが高すぎるので本来の登り口ではなさそうです。


段だんを登りきった先には、広い松坂城天守跡がありました。
松坂城跡は石垣を幾重にも巡らした巨大な城郭なので、さぞや立派な天守が建てられていたことでしょうね。


天守跡のすぐとなりには、敵見櫓跡がありました。
敵軍が北西側から攻め込んでくることを想定して、名付けられたのかも知れません。
本丸跡を歩き回って


敵見櫓跡から本丸跡へ降りて歩いていると、天守跡へと続く石段がありました。
上り下りしやすそうなので、こちら側が正式な出入り口のようです。
気になる工事中のフェンスの中を、すき間からのぞき込んでみたら、金の間櫓跡の石標を見つけました。
古語辞典によると「金の間」とは、金襖(きんぶすま)を立てた部屋、という意味だそうです。


本丸跡の石標前から、あらためて本丸跡を振り返ると、かなり広々とした平坦地であることが判りました。
なお本丸跡は 2段になっており、金の間櫓跡脇の坂道を下ると下段があります。
さらに松坂城跡を巡っていきます。
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