【滋賀】野洲の穴場スポットをガイドのおじさんと回った話 その2 (妓王寺篇)

神社仏閣めぐり
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以前、滋賀県野洲(やす)市をドライブしていたとき、偶然立ち寄った錦織寺(きんしょくじ)で、親切なボランティアガイドのおじさんと知り合いました。

おじさんに、妓王寺にたどり着けなかった話をしたところ、軽トラックで先導してくれることになりました。

妓王寺は細い路地の奥にひっそりと

ボランティアガイドのおじさんに先導され、錦織寺を出発しました。
南東へとまっすぐに続く田んぼの中の農道を通り、中北集落の中へ入ります。

日光山 明覺寺の門前
日光山 明覺寺の門前

そして、ひとりでウロウロしていたときには、躊躇(ためら)った日光山明覺寺(にっこうざん みょうかくじ)の門前に車を停めさせてもらいました。

ここからは妓王寺までは近いので、歩いていきます。

妓王寺の門前
妓王寺の門前

妓王寺は、滋賀県野洲市中北(やすし なかきた)にある、生け垣に囲まれたこぢんまりとしたお寺です。

運わるく門の扉がしまっており、チャイムを鳴らしましたがご不在のようでしたので、中を拝見することは諦めました。

追記

後日もう一度訪れると、運よく出会った地元の方に、妓王寺の中を見せてもらえました。
妓王寺の庭には、妓王と妓女の供養塔が、並んで建てられています。

妓王寺の額
本堂に飾られていた「妓王寺」と彫られた額

本堂の中に入ると大きな仏壇があります。
妓王と妓女、刀自(とじ)と仏御前の仏像が、2体ずつ厨子の中に入っているそうです。

刀自とは、中年以上の女性に対する尊称で、妓王、妓女のお母さんを表す。

白拍子

なお、これらの厨子がご開帳されるのは、毎年8月25日の妓王の命日だけだそうです。
一般の方は、この日に執り行われる法要のあとで、厨子の中を見られます。

また本堂の鴨居の上には、大河ドラマ「平清盛」の撮影風景のパネルも飾られていました。
大河ドラマ撮影当時は参拝者も多かったので、妓王寺の門の扉も開けてあったそうです。

妓王の故郷はいろいろと潤いました

どうして京都市右京区嵯峨鳥居本小坂町祇王寺だけでなく、ここにも妓王寺が建っているのか、ボランティアガイドのおじさんに尋ねてみました。

実は、妓王(ぎおう)、妓女(ぎじょ)の故郷がこのあたりなのだそうです。

田んぼ

白拍子(しらびょうし)の妓王は平安時代末期、時の権力者である平清盛(たいらのきよもり)の寵愛を受けていました。

平清盛に「何か望みはないか?」と言われ、妓王は「故郷の人々が水不足で難儀(なんぎ)しておりますので、ぜひとも故郷に用水路を引いてください」とお願いをしました。

そうしてできた用水路が、妓王井川(ぎおういがわ)なのです。
ちなみに、この場合の「井」とは用水路のこと指します。

追記

妓王井碑の額
妓王井川に関する巻物(原書)を額装したもの(後日、妓王寺の中にて撮影)

後日、妓王寺の中に入ったときに、妓王、妓女の物語のビデオも見せていただきました。
そのビデオは、地元の中学生が作ったもので、紙芝居仕立てになっています。

おもな内容は、次のとおりです。

  • 妓王、妓女の生い立ち
  • 妓王井川という用水路ができた理由(わけ)
  • 妓王と仏御前の経緯(いきさつ)
  • 現在の妓王井川について

もし、妓王寺の中に入れたら、ぜひ見せてもらってください。

おじさんの心に火が点いた

おじさんに、妓王寺に連れて行ってもらったところ、おじさんの心に火が点きました。
夕方5時まで、いろんなところへ連れて行ってくれるそうです。

渡し船

それは願ったり叶ったり、渡りに船です。

こんな申し出はなかなか無いので、ありがたく乗っかることにしました。
実はおじさん、夕方までとっても暇で、どうやって時間を潰そうか思案していたそうです。

つぎは、兵主大社にお参りに行きます。

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