以前、滋賀県野洲(やす)市をドライブしていたとき、偶然立ち寄った錦織寺(きんしょくじ)で、親切なボランティアガイドのおじさんと知り合いました。
静寂に包まれた大笹原神社の参拝を終え、再びおじさんと出発です。
源義経が元服したのは、小さな池のほとり
大笹原神社の駐車場を出発し、もと来た道を戻りました。
橋を渡ると今度はすぐに右折し、交差点「浄勝寺前」を東へ右折して、国道8号線に出ました。

しばらく進んで、右側の道の駅「竜王かがみの里」の駐車場に車を停めました。

義経元服の地(よしつね げんぷくのち)は、道の駅から国道8号線をはさんで北側にあります。
歩道橋を渡って、すこし西に行ったところにある、小さな池のほとりです。
源義経はなぜ、こんなところで元服を?

池のほとりの石碑には、「九郎判官 源義経 元服之池(くろうほうがん みなもとのよしつね げんぷくのいけ)」と書かれています。

元服とは、貴族や武士の男子が成人になったことを示すための儀式です。
武士の男子は、成人の髪型に結いなおし烏帽子(えぼし)をかぶり、さらに元服名を新たに付けます。
追っ手から逃れるために、源義経が変装した場所
義経元服の地(よしつね げんぷくのち)は、滋賀県蒲生郡竜王町(がもうぐん りゅうおうちょう)にあります。

このとき源義経(みなもとのよしつね)は、東北地方にあった陸奥国(むつのくに)の藤原秀衡(ふじわらのひでひら)に会いにいく途中でした。
竜王町にあった宿場町である鏡の宿(かがみのしゅく)に立ち寄ったときに、追っ手が迫っていることを聞き、子供の姿から大人の姿へと変装するために、元服の儀式をしました。

源義経とは、鎌倉幕府(かまくらばくふ)を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)の弟で、
子供のころの名前は、牛若丸といいました。
桜生って、なんと読むのですか?
歩道橋を道の駅「竜王かがみの里」へと戻り、ふたたび出発です。
国道8号線を西へと戻り、野洲市辻町(やすし つじまち)の立体交差点で下りました。
県道324号線を北に右折し、すぐに交差点を西に左折しました。

東海道新幹線の高架との距離が近くなったところにあるのが、桜生史跡公園です。
桜生は「さくらばさま」と読みます。

桜生史跡公園(さくらばさま しせきこうえん)は、滋賀県野洲市小篠原(やすし こしのはら)にある史跡公園です。
3つの古墳のうち2つの古墳では、横穴式石室の内部を見学できるそうです。
古墳群についての楽しい団らんのひと時♪
この日は、いろいろと初めてのところへ行ったので、もうヘトヘトでした。
駐車場のすぐ横にある桜生史跡公園案内所に入って、展示室を見て回り、いろいろと説明してもらいましたが、もう上の空です。

ということで、ちょっと休憩です。
ボクとボランティアガイドのおじさんと案内所のおばさんで、野洲市の古墳群について談笑しました。
ボランティアガイドのおじさんって?

ガイドのおじさんは、野洲市役所の元職員だったそうです。
もしかしたら古墳群関連のPR担当だったのかも知れません。
野洲市の古墳群について説明するときは、たいそう自慢げでした。
次回も、野洲市内の名所旧跡を巡った話です。いよいよ最後です。
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