以前、滋賀県野洲(やす)市をドライブしていたとき、偶然立ち寄った錦織寺(きんしょくじ)で、親切なボランティアガイドのおじさんと知り合いました。
古代のロマンあふれる桜生(さくらばさま)史跡公園案内所の見学を終え、再びおじさんと出発です。
日本と李氏朝鮮は、外交使節団を送り合う仲
実は、桜生史跡公園(さくらばさま しせきこうえん)から御上神社(みかみじんじゃ)へと行くときに、朝鮮通信使が通ったという道「朝鮮人街道」を一部経由しました。
朝鮮通信使(ちょうせん つうしんし)とは、室町時代から江戸時代まで、李氏朝鮮が日本に派遣した外交使節団のことです。

日本と李氏朝鮮は、お互いに外交使節団を送り合っていたようです。
朝鮮通信使が江戸に行くために使った道
ちなみに朝鮮人街道(ちょうせんじん かいどう)というのは、近江にあった近世の脇街道です。
滋賀県野洲市行畑(やすし ゆきはた)で中山道から別れ、滋賀県彦根市鳥居本(ひこねし とりいもと)で中山道と交わりました。
当時の琵琶湖湖岸は、現在より内陸の方にありました。
朝鮮人街道は、そのすべてでは無いですが、琵琶湖湖岸をとおる道だったようです。

朝鮮通信使が、江戸の将軍のもとへ行くために通ったので、朝鮮人街道と呼ばれました。
なお、脇街道がないところは、普通に中山道を通っています。
御上神社の駐車場から、ご神体を望めます
JR琵琶湖線の南側の道路を交差点「久野部跨線橋東」で、北西へ右折して朝鮮人街道に入り、川沿いの道を南西に進みます。
行畑のあたりで南へ左折して、御上神社の北口から入り、御上神社の楼門の近くに停めました。
地元の人が勝手に停めている場所のようなので、駐車場ではありません。

御上神社(みかみじんじゃ)は、滋賀県野洲市三上(やすし みかみ)にある神社です。
東の方には、三上山(通称、近江富士)を望めます。
御上神社のご神体が、三上山です。
楼門の中から2人の警備官が見張っています

一旦神社の外に出て、改めて大きな鳥居をくぐり、楼門に向かいました。

楼門の左右には、それぞれ随臣(随身、ずいじん)、つまり警備官がいます。
実はひな人形にも、手前(下段)に随臣がいるのですが、子供にも分かりやすいように、右大臣、左大臣という名称で並べられています。
楼門をくぐると拝殿があり、その奥に本殿がありました。

本殿の左右には、菅原道真公などの社殿がありました。
境内はせまく感じますが、大きな森のなかにある大きな神社です。
実は、 御上神社(みかみじんじゃ)の西側に、妓王井川(ぎおういがわ)が流れています。
近くの野洲川から、水を取り入れて、付近の田畑を潤(うるお)しています。
あとがき

野洲市の名所史跡を廻ったとき、ボランティアガイドのおじさんが運転する、軽トラックのあとをついていくのが精一杯でした。
だから、このブログを書くまで、連れて行かれた場所がまったく判っていなかったのです。
しかし今回、ブログに書いたことで情報が整理でき、いろいろな場所が特定できました。
また今度、行ってみようと思います。

最後に、ボランティアガイドのおじさん、ありがとうございました。
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