岐阜県大垣市青野町(おおがきし あおのちょう)には、美濃国分寺と美濃国分寺跡があります。
近くをよく通るのですが、今まで一度も訪れたことがありませんでした。
かつて国分寺と国分尼寺は、聖武天皇の命令によって、当時の国ごとにそれぞれ一つずつ建てられました。
仏法によって外敵や災厄を鎮(しず)め、日本国家を護(まも)ることが目的です。
ということで、美濃国分寺と美濃国分寺跡へ行ってきました。
近くを東海自然歩道が通っているので、ついでに山中も歩いています。

美濃国分寺の駐車場へ
まずは美濃国分寺の駐車場へ向かいました。
国道21号線の交差点「宮代」から北へ進み、橋を渡って鉄道「東海道本線」をくぐります。
県道216号線の交差点「府中東」で東へ曲がったら、切通を通って山を越えます。
しばらく田園地帯を東へ向かっていると、左側に見えてくる並木と長い生け垣が美濃国分寺跡です。
当日は道路2車線化工事をしていたので、変電所のあいだの道を北へ入っていきました。
美濃国分寺の駐車場は、美濃国分寺跡の北側にあります。
美濃国分寺へお参り

さて美濃国分寺は、駐車場から坂道を登っていったところにありました。
どうやら近年改修工事されたようで、薬師橋の欄干も山門や鐘楼の屋根瓦も新しく感じます。
美濃国分寺境内 金堂から振り返って
美濃国分寺の境内に入ると周囲の高台に、ところ狭しと建物がいくつも配置されていました。
ちなみに裏山の青野山は新四国八十八ヶ所霊場になっており、境内左手の石段から登っていけるようです。

度重なる天災や戦火によって、いにしえの美濃国分寺の伽藍は尽(ことごと)くなくなってしまいました。
現在の美濃国分寺は、土中に埋もれていたご本尊を、草葺きのお堂に安置したのが始まりだそうです。
東海道本線新垂井線をくぐって
国分寺前の道を西へ 東海自然歩道の案内板
美濃国分寺でお参りを済ませたら、門前を横切る川沿いの道を西の方角へ歩いていきました。
すこし遠回りになってしまいましたが、何とか東海自然歩道に合流します。
本来の東海自然歩道は、美濃国分寺門前から美濃国分寺跡の方へ進みます。
東海道本線新垂井線 新垂井線下トンネル
東海自然歩道は、東海道本線新垂井線の土手下をくぐるトンネルの方へ続いていました。
トンネルは一見すると怖そうですが、線路が単線なのですぐに通り抜けられます。
新垂井線は、垂井駅から関ヶ原駅への急な上り勾配を、迂回するための路線です。
戦時中、貨物列車の速度低下を抑えて、機銃掃射されにくくする目的で造られました。
獣害防止柵の扉 草ぼうぼうの道
トンネルをくぐり抜けると獣害防止柵がありますが、東海自然歩道は左へ直角に曲がっていました。
草ぼうぼうになっているので、ヘビに注意しながら歩いていきます。
山沿いの舗装道路
山沿いの道に合流 梅谷方面へ
山沿いの舗装道路に出たら、そのまま梅谷方面へ歩いていきました。
一般的に獣害防止柵は山を囲むように設置されますが、このあたりでは田んぼをぐるりと囲んでいます。
分岐点(左)平尾ダム 分岐点(右)峠越えで円興寺
しばらくすると、分かれ道に差し掛かりました。
東海自然歩道の案内板は、左の道を指し示しています。

熊出没注意の看板があるので、ここで熊よけ鈴をバッグに取り付けました。
ちなみに右の道を進むと、峠を越えて青墓町の円興寺にたどり着けるようです。
さらに東海自然歩道を歩いていきます。
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