この前、中日新聞を読んでいたら、小学校の先生の談話が載せられていました。
児童に漢字の「とめ・はね・はらい」を教えるのに苦労している、とのこと。

ボクもご多分に漏れず小学生のころは、漢字の書き取りやドリルなどで勉強していました。
もちろんその頃は「とめ・はね・はらい」までしっかりと覚えていましたよ。
ただ高校の書道で「隷書(れいしょ)」を習ったときから、漢字の常識がガラリと変わりました。
書き出しは逆方向から始めますし、横線の終わりはすべて「はらい」になるのです。
漢字の元になったもの
漢字はそもそも、古代中国の「甲骨文字」に始まります。
当時はまだ紙がなかったので、亀の甲羅の腹側や動物の肩甲骨などに刃物で文字を刻んでいました。

甲骨文字には、事物の形を簡略化した象形文字や、物事の状態を抽象化した指事文字があります。
また、それらを組み合わせて作られた会意文字や音を借りた形声文字などもあります。
ただ甲骨文字には文字の骨組みしかなく、「とめ・はね・はらい」の違いは存在しませんでした。
それらが現れるようになったのは、筆で漢字を書くようになってからです。
書体の移り変わり
漢字の書体は古代中国から時代を経るとともに、さまざまなものが必要に応じて生み出されてきました。
主だったものは、「篆書」「隷書」「草書」「行書」「楷書」の五体です。
- 篆書 ……… 現在では篆刻をするときによく使われる書体です。落款印でよく見かけます。
- 隷書 ……… 篆書を直線的に簡略化して書きやすくした書体です。線の始めと終わりが独特です。
- 草書 ……… 隷書をかなりすばやく書いた書体です。元の文字とかけ離れたものもあります。
- 行書 ……… 隷書をほどほどにすばやく書いた書体です。
- 楷書 ……… 隷書をさらに直線的に四角く書いた書体です。いちばん新しい。

篆書は装飾的で書きづらかったので、下級役人によってまず隷書が作られました。
その後、隷書からいくつかの書体を経て草書が、また隷書から行書と楷書が派生しています。
象形文字からまず楷書ができ、それをくずして行書や草書ができたと思っていました。
「とめ・はね・はらい」は絶対ではない
さて現在の学校教育では、楷書に属する「教科書体」を元に漢字を教えているそうです。
教科書体の漢字の「とめ・はね・はらい」が唯一の正解だ、と信じている先生もいるのだとか。
ところが現在、世の中で使われている書体には、さまざまなものがあります。
教科書体とは違った「とめ・はね・はらい」のものも多く、どれも問題なく使われています。

そもそも漢字の「とめ・はね・はらい」という区別は、甲骨文字にはありませんでした。
筆で文字を書くようになり、筆を流れるように動かすことによって、自然にできたものだと思われます。
鉛筆やペンが主流になった時代に、区別して書く必要はないのではないでしょうか。
あとがき
ボクが小学生のころにも、漢字のテストがありました。
現在とあまり変わらず、「とめ・はね・はらい」を間違えると、減点されていたように記憶しています。

ただ世の中に出ると、いろいろな漢字を目にすることになります。
むかしの人の書いた漢字を見ると、教科書体とは違うところで「はね」ているのをよく見かけます。
漢字を区別するときに大切なのは骨組みであって、些細な「とめ・はね・はらい」ではないのです。
漢字の勉強は、もっと楽しくしたいものです。
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