以前、浅井長政(あざい ながまさ)の居城があった小谷城跡(おだにじょうせき)を見に、小谷山に登ったことがあります。
そのとき、清水道沿いに「三田村屋敷跡」の石碑を見かけました。
三田村氏の故郷について調べてみたら、普段よく通る滋賀県の姉川の近くにあるようです。
ということで今回は、三田村氏の故郷である三田集落(長浜市三田町)に行ってきました。
いざ三田村氏の故郷、三田集落へ
三田集落へは、まず国道365号線を通り、姉川のすぐ北にある交差点「野村橋北詰」を西へ曲がります。
そして、県道271号線をしばらく西へ走ると、三田集落の中に入ります。

実は、道路の北側に「三田村城跡」の方角を示す木製の看板が立っているのですが、小さくて背が低く、しかもあちら(西)側を向いています。
確か近くに、せんべいの看板が立っているはずなので、それが目印です。
集落の中を通って三田村城跡へ
三田集落の中は道が狭く、道路の脇に水路が通っていますので、気をつけて通ります。
途中でクランクになっているし、宅配便の自動車が道を塞いでいたりしましたが、道を北へ進んでいくと、うまい具合に道路の東側に建っているお寺にたどり着けました。

お寺の入り口には、三田村城跡(別名、三田村氏館跡)についての看板が立っています。
なお現在、三田村城跡は伝正寺(でんしょうじ)というお寺になっています。
三田村城跡に建つ伝正寺

お寺に入って、まず目につくのは、土塁の上に建てられている鐘つき堂です。
ここには、もともと三田村城の櫓(やぐら)が建てられていたそうです。

入り口から奥へ行くと、伝正寺の本堂があります。

本堂の入り口脇に置いてある銀色の四角いポストの中には、チラシが入っています。
三田村城跡と姉川古戦場について、詳しく書かれていますので、たいへん参考になりました。
三田村城跡の土塁

三田村城跡の周囲、60メートル四方には、北側を除いて、今なお土塁が残されています。
土塁の歩きはじめ 近所の子ども達の遊び場? 鐘つき堂へ
土塁の上は、歩けるように整備されていましたので、一通り歩いてみました。

伝正寺の本堂のすぐ裏には、いくつかの遊具も置いてあります。
土塁は普段、子どもたちの遊び場になっているようで、とても歩きやすかったです。

なお、土塁の終点には、伝正寺の入り口の横にあった鐘つき堂があります。
土塁から境内に下りるときは、鐘つき堂の階段を使いました。
さてつぎは、姉川古戦場に行きます。
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