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【滋賀】三田村城跡と姉川古戦場を見てきました その2 (姉川古戦場篇)

名所史跡めぐり
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以前、浅井長政(あざい ながまさ)の居城があった小谷城跡(おだにじょうせき)を見に、小谷山に登ったことがあります。

そのとき、清水道の途中で、「三田村屋敷跡」の石碑を見かけました。
気になったので、姉川の近くにある三田村城跡(伝正寺)を見てきました。

いざ姉川古戦場へ

ついでに、姉川古戦場を見に行きます。

三田村城跡に建てられた伝正寺(でんしょうじ)から、三田集落の南を通る県道271号線に戻り、東に左折して国道365号線の方へ進みます。

するとすぐに、姉川古戦場を示す大きな看板が出ていましたので、そこで南に進み、池の近くにある駐車場に車を停めました。

パターゴルフ

すぐ横は、ちはら公園として整備されて、パターゴルフのコースになっています。

看板の上の大太刀

駐車場の脇には、伝正寺で見たものと同じく、姉川の合戦の看板が立ててあります。

ただ、伝正寺での看板と違うのは、看板の上に、真柄十郎左衛門直隆(まがら じゅうろうざえもん なおたか)の大太刀(おおだち)の原寸大模型が取り付けられていることです。

鎧を着た武士

真柄十郎左衛門とは、朝倉景健(あさくら かげたけ)軍の武将の中で、しばしば講談や軍記物にも登場するほど、有名な人なのだそうです。

姉川の合戦において、勇猛果敢(ゆうもうかかん)に大太刀を振り回して戦いましたが、奮闘むなしく討ち死にしたそうです。

姉川古戦場の地図

姉川古戦場の地図
姉川古戦場の地図

さて、姉川の合戦の看板には、姉川古戦場の地図と姉川の合戦での陣形図が載っています。
ただし設置場所に合わせて、地図の下が北の方角になっているので、注意が必要です。

現在地は(七)の地点、先ほど訪れた三田村城跡(伝正寺)は(十一)の地点です。
姉川の合戦の陣形は、姉川を挟んで国道365号線の東側にまで、広がっていることが分かります。

姉川の合戦の看板をすべて見たかったので、ちょっとあたりを散策することに。

姉川古戦場を散策

姉川古戦場址
姉川古戦場址

とりあえずは、すぐ近くの姉川古戦城址の石碑を見に行きました。
言ってみれば、墓石のようなものですので、地元の方がお花をお供えされています。

血原養水底樋跡
血原養水底樋跡(左は、姉川堤防)

すぐ近くには、血原養水底樋跡(ちはら ようすい そこひ あと)もあります。
底樋とは、川底の下を流れる伏流水(ふくりゅうすい)を取り出すための仕組みです。

干ばつ

むかしは、このあたりでもご多分に漏れず、水不足や洪水に悩まされたそうです。
近隣の村々との間で水争いが絶えなかったので、それを解消するため底樋が作られました。

散策コースに迷う

姉川の堤防(三田側)
姉川の堤防(三田側)

ちょっと姉川を見てみたくて、姉川の堤防に上がってみました。

河川敷は、工事中で川が見られませんでしたが、堤防は桜の木が植えられていて、花見の季節は人で賑そうです。

キョロキョロと探す男性

さて、姉川の合戦の看板をすべて見ようと思い、しばらく歩いてみたのですが、次の看板がなかなか見つかりません。

道沿いに案内標識はなく、手元に地図もないので、どう進めば良いかが分かりません。

ちはらの名前って?

ちはら公園
ちはら公園

というわけで再び、ちはら公園に戻ってきました。
池の中は草茫々(ぼうぼう)、もしかしてこれは、茅(ち)ではないですか?

茅葺屋根の家

茅(ち)とは、別名かや、ちがやとも呼び、広くは先の細い草の名、狭くは細い穂の出るイネ科の草を総じてそう呼び、屋根を葺(ふ)くのに使われました。

ホタルのいる川

そもそもこのあたりの地名は、茅が生えている川で茅川、茅が生えている原っぱで茅原と呼んでいたのだと思われます。

しかし、姉川の合戦があって、あたりが血に染まったことから、血川、血原に変わったのではないでしょうか?

さて、妄想(もうそう)はその辺にして、帰るとしますか。

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