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【岐阜】関ヶ原町の桃配山から南宮山へ その1 (徳川家康最初陣地から49鉄塔へ篇)

名所史跡めぐり
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岐阜県不破郡垂井町(ふわぐん たるいちょう)には、南宮山(なんぐうさん)があります。
以前ふもとの美濃国一の宮南宮大社から、南宮山ハイキングコースを登ってきました。

指揮をする戦国武将

見晴らしが良い方の山頂には、関ヶ原の戦いのとき、西軍の毛利秀元の陣が置かれていたのだとか。
現在は展望台になっており、雄大な濃尾平野を見渡せます。

ということで、ふたたび南宮山に登ってきました。
今回は、徳川家康最初陣地のあった桃配山(ももくばりやま)から尾根をたどっていきます。

桃配山・南宮山周辺地図
桃配山・南宮山周辺地図

徳川家康最初陣地へ

まずは関ヶ原の戦いにおいて、徳川家康最初陣地があった桃配山へ向かいました。
大むかしは中山道から登れたのですが、切通しで分断されているので、国道21号線を気をつけて横断します。

桃配山の丸太階段を登っていくと、すぐに徳川家康最初陣地に着きました。
以前は薄暗い森の中だったのですが、西側斜面の木が伐採されてすっかり明るくなっています。

徳川家康

なお徳川家康は合戦の途中で、石田三成が陣を置いた笹尾山の近くに移動しました。
現在そのあたりは「陣場野」という地名になっています。

徳川家康最後陣地は、岐阜関ヶ原古戦場記念館のすぐ西側にあります。

新幹線を迂回して南宮山へ

ということで、桃配山から南宮山へ向かって歩きはじめました。
ところがすぐに新幹線のフェンスに阻(はば)まれてしまい、一歩も前に進めません。

新幹線700系

フェンスに沿って左へ進むと、かなり急勾配の草むらになっていました。
危険を承知ですこし下りてみましたが、トゲのある植物に捕まったので、引き返すことに。

仕方がないので国道21号線を経由して、新幹線の高架下をくぐることにしました。
舗装道路は平坦で幅広く、トゲのある植物も生えていないので、安全に歩いていけます。

立入禁止の50鉄塔を迂回して

さて山の中へ入って橋を渡ると、道が二手に分かれていました。
手持ちの地図によると、どちらでも南宮山まで行けるようですが、ぬかるんでいない尾根筋を進みます。

しばらく尾根筋を登っていると、立入禁止のロープが張り巡らされた 50鉄塔に着きました。
まっすぐには進めないので、立ち入り禁止区域を迂回して右側を登っていきます。

50鉄塔からさらに歩いていくと、すぐ白い鉄塔に着きました。
見晴らしが良いので景色を眺めてみましたが、霊仙山も伊吹山もほとんど見えません。

49鉄塔に寄り道して

白い鉄塔からしばらく尾根筋を登っていると、道は谷筋の方へ曲がっていきました。
谷筋は地面がぬかるんでいたので、すこし避けながら登っていきます。

尾根にたどり着くと道が左右に分かれていたので、とりあえず 49鉄塔の方へ進んでみました。
程なく木立の向こうに、送電鉄塔が見えてきます。

49鉄塔からは、はるか遠く北西の方角に伊吹山が見えました。
ただここから先は道が続いておらず行き止まりなので、引き返すことにします。

さらに南宮山へ歩いていきます。

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