【岐阜】関ヶ原町の桃配山から南宮山へ その3 (山頂を越えて展望台へ篇)

森の中を歩く二人 名所史跡めぐり
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岐阜県不破郡垂井町(ふわぐん たるいちょう)には、南宮山(なんぐうさん)があります。
以前ふもとの美濃国一の宮南宮大社から、南宮山ハイキングコースを登ってきました。

ということで、ふたたび南宮山に登ってきました。
今回は、徳川家康最初陣地のあった桃配山(ももくばりやま)から尾根をたどっていきます。

桃配山・南宮山周辺地図
桃配山・南宮山周辺地図

49鉄塔から引き返して、畝堀跡を渡ったあとは、送電鉄塔の下をくぐって、林道横の尾根筋を歩いてきました。

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林道を離れて尾根筋

さて林道を離れたら、地面に薄っすらと残る踏み跡を頼りに、ひたすら尾根筋を歩いていきました。
もう赤テープはほとんど見掛けませんが、枯れ木の通路が進むべき方向を示しています。

途中の大堀切だと思われる不自然な地形では、倒木が横たわって進路が妨害されていました。
赤テープにしたがって尾根を横切り、急斜面を登っていきます。

さらに歩いていくと、ふたたび現れた枯れ木の通路が進路を指し示していました。
程なく木立の奥に赤テープが現れて、白い棒が見え始めます。

本当の南宮山頂上を越えて

木立の間を通り抜けると、三角点のある南宮山頂上にようやく着きました。
毛利秀元陣跡のある展望台が山頂かと思っていましたが、本当の山頂は森の中だったようです。

せっかく山頂に着いたのですが、まわりは鬱蒼(うっそう)とした森で、残念ながら景色が見えません。
すぐに展望台方面へ向かって、急勾配の斜面を下り始めることに。

ホウ葉だらけの鞍部
ホウ葉だらけの鞍部

しばらく下っていくと、一面ホウ葉だらけの鞍部に着きました。
谷筋を下って朝倉山へ行くことも考えましたが、このまま展望台まで行ってみることにします。

井戸跡と堀切跡と曲輪跡

さて小山をひとつ越えてくると、井戸跡と思われる長方形の窪みがありました。
井戸跡を過ぎると、急勾配で根っこだらけの上り坂が始まります。

振り返って堀切跡

坂道を登りきったところには、堀切跡がありました。
このあたりまで合戦は飛び火しなかったようで、真ん中に土橋が遺(のこ)ったままです。

堀切跡の土橋を渡ると、目の前には毛利秀元の陣があったとみられる曲輪跡が広がっていました。
曲輪跡のまわりには、土塁跡がこんもりと盛り上がっています。

南宮山ハイキングコース展望台

曲輪跡を奥へ進むと前方が明るくなって、南宮山ハイキングコース展望台に出ました。
木陰には、関ヶ原の戦いのとき毛利秀元の陣があったことを表す、のぼり旗が立てられています。

指揮をする戦国武将

毛利秀元は、大阪城に入った毛利輝元の名代として、南宮山頂上に陣を置きました。
ところがここからでは、大垣城は見えても関ヶ原は見えなかったようです。

徳川家康と毛利秀元のうち、どちらがあとから陣を置いたかによりますが。
家康があとなら秀元が参戦できないように、秀元があとなら家康を背後から攻撃しようとしたのかも。

南宮山展望台の端まで行くと、雄大な濃尾平野が見渡せました。
右端の方には養老山地も見えます。

つぎは南宮大社の方へ下っていきます。

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