オミクロン株ワクチン副反応のため、お休み中

【岐阜】中津川市苗木の苗木城跡を巡って その2 (大門跡から本丸跡へ篇)

城郭めぐり
この記事は約3分で読めます。

岐阜県中津川市苗木(なかつがわし なえぎ)には、苗木城跡があります。
テレビで頻繁(ひんぱん)に紹介されるので、一度行ってみたくて、ずっと時期を見計らっていました。

ということで、苗木城跡を巡ってきました。
岩山に築かれているので、至るところに巨岩が点在しています。

苗木城跡案内図
苗木城跡案内図(三の丸跡で入手)

八大龍王を通る道は通行禁止だったようです。

第一駐車場から、足軽長屋跡大矢倉跡に寄り道したあと、大門跡まで来ました。

御朱印蔵跡と綿蔵門跡と坂下門跡

苗木城御朱印蔵跡
御朱印蔵跡

さて大門跡(おおもん あと)を通り抜けると、すぐに御朱印蔵跡の高い石垣がありました。
重要書類が納められていたので階段は無く、必要なときにハシゴを架けて出入りしていたのだとか。

本丸跡へと続く石段を登り始めると、つぎは綿蔵門跡がありました。
苗木城は敷地が限られていたので、年貢として納められた真綿を、門の 2階に保管していたようです。

ここまでも坂道だったのですが、つぎでようやく坂下門跡に着きました。
礎石に開いている角穴は、柱が横にずれないためのほぞ穴です。

恵那市岩村町の岩村城跡の埋門(うずみもん)で、同じような礎石を見ました。

菱櫓門跡と千石井戸と本丸口門跡

菱櫓門跡を通り抜けて道幅のせまい石段を登っていくと、目の前に雄大な景色が広がりました。
左側に大きな高峰山が見え、そのほかは南木曽方面の山やまが見えています。

苗木城跡千石井戸
千石井戸

振り返ると、苗木城跡で一番高い位置にある千石井戸(せんごく いど)がありました。
日照り続きでも枯れることがなく、千人分の水を賄(まかな)えることが、名前の由来なのだそうです。

石(こく)とは武家の知行高の単位。当時のひと一人が一年間に食べる米の量を基準にしています。

苗木城本丸口門跡
本丸口門跡

千石井戸のすぐとなりには、本丸口門跡がありました。
別名を「欅門(けやきもん)」と言い、堅くてなおかつ木目の美しい総欅造りだったそうです。

武器蔵・具足蔵跡

苗木城武器蔵・具足蔵跡
武器蔵・具足蔵跡

さて本丸口門跡から坂道を登っていくと、武器蔵・具足蔵跡が現れました。
ずらずらっと奥へ向かって並んでいるのは、別名を「八間蔵」と呼ばれた武器蔵の縁石・礎石群です。

指揮をする戦国武将

この一郭には、鉄砲や弓矢などの武器類、鎧兜(よろいかぶと)や旗などが納められていました。
有事のときには、家来たちがみな縁石に腰掛けて、戦支度をしたのかも知れません。

小さな武器蔵跡は、苗木城跡の至るところに点在しています。

長い武器蔵・具足蔵跡の前を通り抜けると、いよいよ天守展望台が近づいてきました。
巨岩を見上げると、目と鼻の先に天守台に建てられた展望台が見えます。

苗木城本丸玄関跡・天守展望台

ということで、苗木城本丸玄関跡に着きました。
当時は天守台まで、一旦南東側に回り込んでから登ったそうですが、現在は木製階段の近道があります。

木製階段を登っていくと、程なく苗木城本丸跡に建てられた天守展望台にたどり着きました。
かつての苗木城天守は巨岩の上に建てられており、そのときに開けられた柱穴を再利用したのだとか。

天守展望台に上ると、360度の大パノラマが広がっていました。
ふもとを流れる木曽川の向こう側には、雄大な山容を誇る恵那山がどっしりと構えています。

さらに、苗木城跡を巡ります。

コメント

タイトルとURLをコピーしました