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【岐阜】中津川市苗木の苗木城跡を巡って その4 (笠木矢倉跡下から北門跡へ篇)

城郭めぐり
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岐阜県中津川市苗木(なかつがわし なえぎ)には、苗木城跡があります。
テレビで頻繁(ひんぱん)に紹介されるので、一度行ってみたくて、ずっと時期を見計らっていました。

ということで、苗木城跡を巡ってきました。
岩山に築かれているので、至るところに巨岩が点在しています。

苗木城跡案内図
苗木城跡案内図(三の丸跡で入手)

八大龍王を通る道は通行禁止だったようです。

苗木城本丸跡から、馬洗岩笠置矢倉跡に寄ったあと、千石井戸から八大龍王社を経て不明門跡まで来ました。

笠置矢倉跡下と的場跡と二の丸跡

さて不明門跡から後ずさりして、ふたたび草むらを進むと、バリケードで立入禁止になった場所がありました。
笠置矢倉跡下の巨岩群に倒れるおそれがあるので、安全策をとっているのかも知れません。

二の丸跡下にも的場跡があったので、一番奥の小塚まで歩いてみました。
たまたま見つけた犬走りを通り抜けて、二の丸跡の中に入ります。

ということで、礎石が整然と並べられた二の丸跡の中心部にたどり着きました。
地面から必要以上に出ているいくつかの礎石は、現代になってから並べ置かれたと思われます。

牢屋跡と駆門跡

二の丸跡からは、勘定所門跡大門跡を通って、牢屋跡を見に行きました。
建物は、昼間でもほとんど陽の当たらない、底冷えする大岩の上に建てられていたのだとか。

勘定所門は、現地やパンフレットの案内図で、台所門と誤記されています。

牢屋跡のすぐ横には、いくつかの石垣で囲まれた駆門跡がありました。
駆門跡も日かげになることが多そうなので、もしかすると「陰門(かげもん)」がなまったのかも知れません。

駆門跡から外へ出ると、四十八曲りが始まりました。
古い文献には、ふもとから苗木城本丸まで登るのに 48回曲がる道、と書かれていたそうです。

竹門跡と北門跡

さて駆門跡から四十八曲りを下っていくと、扉が竹で出来ていたという竹門跡がありました。
人手が足りなかったのか、扉は開けたままで門番もいなかったそうです。

四十八曲りを下ってしまうと戻ってくるのが大変なので、つぎは北門跡へ向かいました。
かすかに踏み跡の残る坂道を登っていくと、程なく北門跡にたどり着きます。

北門跡の脇には、馬の飲水に使っていたという、石垣に囲まれた雨水のため池がありました。
風吹門跡へと下る坂道の横には、はじめに登った巨大な大矢倉跡の石垣がそびえ立っています。

あとがき

以前テレビで見た苗木城跡は、山肌と石垣、巨岩がむき出しで、荒々しい雰囲気でした。
ところがいざ訪れてみると、山肌はすっかり緑に覆われて、落ち着いた雰囲気に。

天空の城

樹木が生えていると見通しが悪くなるので、当時の山城はどこも山肌がむき出しだったと思いますけどね。
むき出しの山肌は、雨風で土砂崩れが起きやすくなります。

当時は山城を築く技術者が大勢いたので、崩れても人海戦術ですぐに修復できました。
現代は重機がないと難しいので、急峻な山城は壊れないように維持管理していくのが得策のようです。

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