以前、ダム巡りをしていたときに、偶然発見した日本大正村に来てみました。
大正時代館の見学も終わりましたので、再びまちを巡ります。

元繁華街、うかれ横丁を通って
大正時代館から喫茶「天久」の中を通り抜けて、うかれ横丁に入りました。
昔は、多くの飲食店が立ち並ぶ繁華街だったらしいのですが、今は見る影もありません。

渡り廊下の下をくぐり抜けたとき、お店の中からくぐもったカラオケの音と歌声が、聞こえてきました。
うかれ横町では、誰もがうかれるようです。
この見事に咲いた?遠山桜

うかれ横丁を道なりに進んでいくと、道が直角に左に曲がっています。
遠山家屋敷跡の横をそのまま真っすぐ進み、狭い路地を通り抜けて川を渡ると、遠山桜がありました。

残念ながら、桜の花の見ごろはとっくに過ぎていました。
こればっかりは、名奉行遠山の金さんでも無理です。
日本大正村資料館は、貴重な資料の宝庫
川沿いの道を歩いて南北街道へ戻り、「大正村くるりん券」で日本大正村資料館に入りました。

最初にドーンと建っている蔵は、お土産屋さんです。
そこはあとで見ることにして、まずは奥の資料館へと向かいました。

もともと蔵だったので、入口の扉は分厚い造りになっています。
玄関でスリッパに履き替えて、いよいよ大正村資料館の内部を見学です。
1階は、昔のおもちゃが勢ぞろい!(資料館1階右側)

右側の入口から入ると、そこには全国から集められた昔の郷土玩具が、展示してあります。

昔は、おもちゃを作って売るような会社がありませんでした。
というわけで、その土地々々の手先の器用な方が農閑期などを利用して、簡単に手に入る材料で、おもちゃを作っていたのではないでしょうか。

展示を見て回ると、どの郷土玩具もバラエティー豊かで、一つも同じものがありません。
ただ現代っ子に与えても、誰も見向きもしないのでしょうね。
2階は、昔の勉強道具とランドセル(資料館2階右側)

せまい階段で2階に上がると、昔の子供たちが、学校で勉強するときに使っていた教科書や地図などが、学科ごとに整理してに並べられています。

学科は現代と概ね似ていますが、違うものとしては「農業」などが気になりました。
昔は家業が農業である家が多かったはずですから、「農業」の授業はたいへん役立ったことでしょう。

また、当時のランドセルや文房具も展示してあります。
最近のランドセルは刺繍(ししゅう)などがしてあり、すごく手が込んでいるなと思っていたら、昔のランドセルにも刺繍がしてあります。

持ち主が個人的にされたのかも知れませんが……。
ただ、ランドセルのサイズは現在のものに比べ、かなり小さいようです。
A4サイズのクリアファイルなどは、到底入りそうにありません。
子供たちの負担も少なかったので、むしろ良かったのかも知れません。
3階は、色とりどりの蓄音機の共演(資料館3階右側)

現代の音楽プレイヤーは、技術の進歩がすばらしく、かなり小型化が進んでいます。
しかし、それもこれも蓄音機が発明されたお陰です。

3階には、蓄音機が展示してあります。
まるで、色とりどりのアサガオが一斉に咲いているようでした。

また、蓄音機の針が入れられていたケースも展示してあります。
たぶん、どこかのコレクターの収蔵品だったのではないでしょうか?
こんなに保存状態が良いなんて、大切に保管されていた証拠ですから。
次回は、大正村資料館の続きです。
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