【岐阜】揖斐郡大野町の野古墳群は、田園地帯のせまい範囲に密集する古代遺跡

名所史跡めぐり
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岐阜県揖斐郡大野町(いびぐん おおのちょう)の運動公園の近くには、野古墳群があります。
道路の案内標識に「運動公園」と共に「野古墳群」と併記されていたので、知ってはいました。

たまたま通りがかったときは、建設残土(別名、建設発生土)が積まれているのかと思いました。
しかし、よく見ると古墳のようで、駐車場もあってカラフルなのぼり旗がはためいています。

前方後円墳

平地の比較的せまい範囲に、大きな古墳がいくつも集まっているのは珍しいそうです。
折角なので、ちょっと見てきました。

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野古墳群の駐車場へ

野古墳群の駐車場へは、国道303号線の交差点「黒野西」で北上し、大谷山の直前の交差点で東へ右折して、県道265号線を道なりに進みます。

しばらくすると道路の南側に田園地帯が広がり、その中に点在するいくつもの巨大な土盛りが現れました。
土盛りはすべて古墳で、それらを総称して「野古墳群」とよんでいるようです。

野古墳群の駐車場は、その田園地帯の中の道を進んだ先にありました。
野古墳群は、国の史跡に指定されているそうです。

このあたりはかつて「野村」とよばれていたようで、至るところに「野村」が残っています。
町村合併により一律「村」が取られ、「野」になったものと思われます。

せまい範囲に点在する、野古墳群

国史跡 野古墳群
国史跡 野古墳群

野古墳群は、東西400メートル南北500メートルという、比較的せまい範囲に密集しています。
17基もの古墳が確認されていますが、田んぼや道路を作るために、壊されたものもあります。

その形はさまざまで、円墳方墳に加えて、仁徳天皇陵として有名な前方後円墳まであります。
また埴輪(はにわ)や葺石(ふきいし)だけでなく、副葬品として「鏡」も出土しているようです。

葺石とは、古墳の斜面などを覆うように、すき間なく敷き詰められた石のこと。

調査によると、5世紀前半に築かれた乾屋敷古墳が、一番古いそうです。

ちなみに現在、乾屋敷古墳の上には、かつて大谷山の柚木洞の奥にあった不動院が建っています。
一旦は不動塚古墳の上に祀(まつ)られましたが、20年ほどのちに乾屋敷古墳の上に移されたそうです。

野古墳群を散策

野古墳群に属するすべての古墳を見て歩くのは、時間がかかって大変です。
とりあえず近場の古墳だけを見て歩くことにしました。

かつて不動院があった、不動塚古墳

不動塚古墳
不動塚古墳

駐車場の奥からすぐ近くにあったので、さっそく見に行くと、そこは不動塚古墳でした。
一応、前方後円墳ですが、方墳部分が道路ですこし削られています。

かつて不動院があったことから、「不動塚古墳」と名付けられたものと思われます。

登って越せる、登越古墳

登越古墳
登越古墳

次は登越古墳(のぼりごえ こふん)を見に行きました。
野古墳群の中で一番大きな古墳だそうで、入り口には遠くからでも目立つように低木が植えられています。

古墳の上の方へ道が続いているので、登り越えてみました。
古墳の上は歩きやすいのですが、下りてくると草が枯れたままなので、足に絡みついて歩きにくかったです。

名前の由来は不明、モタレ古墳

モタレ古墳
モタレ古墳

モタレ古墳はそもそも、帆立貝状古墳だそうです。
ところが田んぼにするためなのでしょう、蝶番部分が削られて円墳になってしまいました。

なお「モタレ」の名前の由来は、不明だそうです。

あとがき

今回は、駐車場の比較的近くにある古墳だけを巡りました。
ただ足を伸ばせば野古墳群には、まだ大きな前方後円墳があるようです。

また折を見て、まだ見ていない古墳と乾屋敷古墳の上にあるという野不動院にも訪れたいと思います。

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