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【岐阜】恵那市明智町の落合砦跡(土岐明智城跡)へ登って その1 (振興事務所から主郭へ篇)

城郭めぐり
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岐阜県恵那市明智町(えなし あけちちょう)には、落合砦跡(おちあいとりで あと)があります。
別名を土岐明智城跡(ときあけちじょう あと)とも多羅砦跡(たらとりで あと)ともいうようです。

日本大正村東側の白鷹城跡(しらたかじょう あと)を調べていたら、村の南西側で見付けました。
ふもとから山頂までの高低差も小さいので、簡単に登れてしまいそうです。

ということで、白鷹城跡のついでに落合砦跡にも登ってきました。
ただ砦跡の至るところが造成されているので、本来の状態とは違うようです。

落合城(土岐明智城・多羅砦)跡 案内図
落合城(土岐明智城・多羅砦)跡 案内図

明智振興事務所北側駐車場へ

まずは明智振興事務所の北側にある駐車場へ向かいました。
案内板はありませんが、落合砦跡への足場として利用できるようです。

国道363号線の交差点「市場町」で西へ入ったら、明智駅日本大正村の間を南へ進みました。
町並みが穏やかになると、右手に明智振興事務所の建物と駐車場が見えます。

明智振興事務所から落合砦跡を望む
明智振興事務所から落合砦跡を望む

自動車は、明智振興事務所北側に細長く連なる駐車場に停めました。
事務所建物から南の方を眺めると、落合砦跡のある山が見えます。

案内板に導かれて、落合砦跡へ

明智振興事務所駐車場の出入り口まで戻ると、落合砦跡への案内版がありました。
案内板にしたがって県道11号線(豊田明智線)を南へ進んで、吉田川に架かる橋を渡ります。

すぐ近くで明智川吉田川が合流しています。
川の合流する場所は水害が起きやすいので、「落合」「川合」などと呼んで注意喚起したようです。

交番のすぐ横まで来たら、右へ曲がって舗装された坂道を登っていきました。
途中には見晴台へと続く近道がありますが、まずは明智光秀産湯の井戸の方へ進みます。

ということで、落合砦跡への入り口に着きました。
落合砦跡のある山は、さまざまな広場のある千畳敷公園として整備されているようです。

三の曲輪の明智光秀産湯の井戸

まずは入り口からすぐのところにある、明智光秀産湯の井戸を見に行きました。
井戸の周りには木柵が設置され、井戸の上には落下防止のために金網が乗せられています。

中をのぞき込んでみると、深い井戸の底に水が溜まっていました。
かつては満々と水を湛(たた)えていたそうですが、グラウンドの整備によって流れが変わったようです。

赤ちゃんの湯浴み

明智光秀は、多羅砦の井戸の水で産湯をつかった、との言い伝えがあるそうです。
この落合砦跡に別名がいくつもあるのは、多羅砦跡であったと言いたいからのようです。

細見美濃国絵図によると、落合砦跡から西へいくつか村を経たところに、一応「多羅子村」があります。
かつては「多羅郷」と呼ばれていたそうですが、「郷」はむかしの行政単位で複数の村の集合体を意味します。

新撰美濃志のコマ番号:374-375/446
国立国会図書館デジタルコレクションより

落合城主郭跡へ

明智光秀産湯の井戸からは、山道を登って主郭跡へ向かいました。
途中の丁字路では「あそびの広場」の方へ進みます。

するとすぐに、広々とした落合砦主郭跡に着きました。
片隅には、明智光秀産湯の井戸から拾い上げた恵比寿の宝珠を祀(まつ)る、恵比寿神社があります。

落合砦跡には、近くの白鷹城跡仲深山砦跡のような技巧的な縄張りがないそうです。
そのせいか主郭跡周辺以外はかなり造成されて、遺構群が確認できなくなってしまったそうです。

さらに落合砦跡を歩いていきます。

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