先日、滋賀県の安土城跡(あづちじょうせき)に10数年ぶりに登ってきました。
昔は、無料だったような気がしますが、今では受付で入山料を取られるようになりました。
昔と今で安土城跡が、結構変わってしまいましたので、その点について書きます。
安土城跡とは
安土城跡は、滋賀県近江八幡市安土町(おうみはちまんし あづちちょう)にあります。
戦国武将の織田信長の居城の内の 1つです。
なお、織田信長が住んでいた当時は、琵琶湖の岸が安土城のすぐ傍まで来ていたそうです。
夜に松明(たいまつ)で安土城をライトアップすると、その灯りが湖面に映って、とても美しかったそうです。
ボクはよく、県道2号線を車で走っています。
以前は、駐車場に停まっている車は疎らだったのですが、最近は、駐車場の道路をはさんで東側にある無料駐車場に、多くの車が停まっているのを見かけるようになりました。
はじめての安土城跡
ボクが、はじめて安土城跡に登ったのは、今から10数年前のことです。
当時は街の電気店に勤めていたので、定休日が毎週水曜日になっていました。
最初、定休日の水曜日に行ったから、安土城の駐車場は空いているのかと思いました。
しかしその後、土曜や日曜も空いていたので、今のような人気はさらにその後のようです。
なお昔は、安土城跡ガイダンス・休憩所などというものはなく、駐車場の北のあたりにトイレがあるぐらいのさっぱり場所でした。
石段の中に紛れる石仏
安土城の大手門跡から入って、石段を登りはじめると、ところどころに四角い石仏が表を上にして、埋め込まれていました。
当時見た説明書きには、安土城の築城を急いだので、地元の村にあった石仏を流用したと書かれていましたが、その説は今でもそうなのでしょうか?
そんな丁度いい大きさの四角い石仏が、村にたくさんあったなんて信じられません。
またもし間に合わせだとしたら、石仏の表を下に向けて隠すはずです。
石仏を埋め込むことによる効果
昔は今より信仰心の厚い人が多かったので、織田信長は、
- 攻め込んできた敵兵が石仏を踏んで、士気(モチベーション)が下がる効果
- 埋め込まれた石仏によって、安土城を宗教的に守護する効果
の 2つの効果を見込んだのだと、ボクは勝手に思っています。
なお現在石仏は、石段から取り除かれて、石段の脇に立てて展示してあります。
入り組んだ地形と巨大な石垣
さて、天守台へと続く道を登っていきます。
もちろん、戦国時代に造られたお城なので、天守台へと行く道は一筋縄ではいきません。
巨大な石垣で行く手を遮(さえぎ)り、右へ左へ進むべき道を変更させられます。
昔は寂しい山道を一人で歩いていたのですが、現在は子供連れの客も多くて賑やかです。
他に見るべきものと言えば、天守台跡や本丸跡に、整然と並べられた礎石ぐらいですね。
なお、天守台に行ったからと言って、特別なものはありません。
百々橋口への道
では、来た道を戻って途中で右に曲がり、再びすこし登って、かつて摠見寺(そうけんじ)の本堂があった方の道を下りていきます。
昔はふもとの百々橋口まで下りて、ふもとの道を歩いて駐車場まで戻れたのですが、現在は坂の途中で通行止めになっています。
入山者を一元管理するため、新たに受付まで続く道が作られたようです。
ボクが通ったときには、まだ重機が土木作業をしていました。
あとがき
先日、安土城跡に訪れた時は、行政側と地元の地権者たちの間で、主導権をめぐって何かせめぎ合っているような印象を受けました。
地権者が、安土城跡に入る人から入山料を取るために、安土城跡を重機を使って改造してしまっているからでしょうか?
重要な遺構や埋まっている茶器などを壊してしまわないか、ちょっと心配です。
コメント