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【滋賀】浅井三姉妹も住んでいた小谷城跡に登った話 その2 (東尾根道篇)

森の中を歩く二人 城郭めぐり
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ボクの住んでいる岐阜県関ヶ原町(せきがはらちょう)の近くって、歴史上有名な場所が、比較的多く点在しています。

今回は、滋賀県北東部の小谷城跡(おだにじょうせき)を登った話の2回目です。

小谷山周辺地図
小谷山周辺地図

目的地までの距離が示してある

案内板を見た男性

小谷城跡は、とても整備されています。

まず、登山道には「本丸○○m」「京極丸○○m」などと目的地までの距離を示した案内が、ほど良いところに設置してあります。

登って行くにしたがって、あと100メートル、あと80メートルなどと次第に数字が減っていくので、山を登るためのモチベーションになります。

場所の説明も丁寧

また、曲輪(くるわ)、門の跡、その他いわれのある場所にも説明板が設置されています。
それを読めば、そこがかつてどのような目的で使われていたかも、分かります。

説明板は、山を登るお楽しみになります。

二宮金次郎

ふもとから重い説明板を持って上がられたことは、想像に難くありません。
地元の方の努力には、頭が下がります。

登山道は大雨のあとは溝に注意

出丸まで登ってきましたので、そこから本丸を目指して登っていくことになります。
出丸からまた舗装された道に戻り、しばらく歩くと左に登山道がありました。

山道

大雨のときに水が流れたせいで、道の真中に縦に溝がありました。

そういえば子供のころは、台風のあとに近くの山を登ると、道に溝ができていたので、その溝は台風の通ったあとだと思ってましたね。

女性の登山家

また本丸などのお城の主要な部分がある方の登山道は、見どころがたくさんあるので登山者に人気があります。

多くの方が登るので、登山道が少しばかり荒れていました。

まずは大河ドラマのロケ地、桜馬場に到着

はじめての小谷城跡でしたので、とりあえず本丸まで登ることにしました。
金吾丸をとばして、番所、御茶屋、御馬屋と登り、まずは桜馬場に到着しました。

湖

桜馬場は、大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」で撮影が行われた場所です。
山の中腹にあるため2段にはなっていますが結構広いところです。

桜馬場の端のところからは、遠くに琵琶湖を望めました。

いざ本丸に到着してみると

そしてさらに登ると、大広間、本丸と続きます。
大広間は、その名にたがわず本当に広いです。

平屋の古民家

さぞや大きなお屋敷が建っていたことでしょう。
また本丸は大広間の奥にあり、右の方から登れます。

しかし、そこから先に道はなく、一旦そこで行き止まりです。
また、大広間に戻ることになります。

山登りする男性

本丸にたどり着くまでは、本丸に着いたら帰ろうと思っていたのですが、調子が出てきたようです。

さらに奥へと見に行くことにしました。

山王丸の出入り口は要注意

大広間の奥を左へと抜け、本丸と中丸を分断している大堀切の横を通ると、中丸、京極丸、小丸、山王丸と曲輪が続きます。

このあたりの登山道はそれほど急ではなく、楽しんで登れました。

石

ただし、山王丸の虎口(こぐち)には、大きな石がゴロゴロと転がっています。
虎口とは、城郭に作られた狭い出入り口のことです。

1753年の小谷城の戦いの際、織田信長の家臣 豊臣秀吉に攻められたときに、山王丸の虎口が破壊されたそうです。

つまづく男性

山王丸を上り下りするときには、つまずいて転ばないように気を付けましょう。

六坊は、お寺の出張所の集まり

さらに調子に乗って、奥へと進みます。
滑りやすい岩場のようなところを下りていきます。

お坊さん

すると、六坊へ着きました。
当時、その場所に6つの寺院の出張所が集められていたといいます。

木の根っこがそこらじゅうでむき出しになっていましたので、踏んで木を枯らさないように気を付けて歩きました。

分かれ道、ここは思案のしどころ

分かれ道

ここで分かれ道です。

真ん中は小谷山山頂の大嶽城(おおづくじょう)へとさらに登る道、右は月所丸(げっしょまる)への寄り道、左は清水道(きよみずどう)をふもとへと下る道があります。

次回は、清水道を下る道について書きます。

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