ボクの住んでいる岐阜県関ヶ原町(せきがはらちょう)の近くって、歴史上有名な場所が、比較的多く点在しています。
今回は、滋賀県北東部の小谷城跡(おだにじょうせき)を登った話の3回目です。

清水道を下る道を選択

ここで分かれ道です。
真ん中は小谷山山頂の大嶽城(おおづくじょう)へとさらに登る道、右は月所丸(げっしょまる)への寄り道、左は清水道(きよみずどう)をふもとへと下る道があります。
小谷山山頂へとさらに登る道は、丸太でできた階段がまだまだ続くようです。
調子に乗ってきたとはいえ、これ以上登る気になりませんでした。
今回は、清水道を通ってふもとへ下りることにしました。
乾いた尾根筋、湿った谷筋
清水道は、谷筋の道です。
名前のとおり川が流れていますので、川沿いの道を歩くことになります。
また谷筋の道ですので、ところどころで小さな流れが道を横切ります。
尾根筋の道と違い、谷筋の道は湿っています。

はじめの内こそ、林間のなだらかなハイキングコースといった雰囲気です。
しかし、すぐに丸太でできた急な階段となります。
しかもその丸太の階段は、無限かと思えるほどに続きます。
丸太の階段には気を付けて
もちろん階段になっていなければ、谷筋のちょっと湿った急な坂道は、滑って上り下りが難しいことでしょう。

ただ、この丸太の階段がちょっと厄介です。
まず、一つ一つの階段の段差が大きめですので、背が低い方は気を付けて上り下りする必要があります。
また、自然の山の地形を利用しているので、階段にあまり踊り場がありません。
自分で立ち止まる場所を決めて、適度に休憩をとる必要があります。
屋敷跡として石垣が残る

さてこの清水道、道の途中には武将のお屋敷跡だったという場所や八畳岩、蛙岩、丸子岩といったかなり大きな巨岩があります。
大野木土佐守の屋敷跡
まずは、大野木土佐守(おおのぎ とさのかみ)の屋敷跡です。
大野木といえば、中山道柏原宿の「八幡神社前」の交差点から北へ行き、新幹線の高架をくぐったあたりが大野木集落です。
ここと関係があるのでしょうか?
三田村佐渡守の屋敷跡
つぎは、三田村佐渡守(みたむら さどのかみ)の屋敷跡です。
三田村といえば、三田村城です。
国道365号線からほど近く、姉川古戦場の北側の三田集落にあった平城です。
現在は、伝正寺(でんしょうじ)へと姿を変えています。
三田村一族の末裔に、俳優の三田村邦彦さんがいるそうです。
お屋敷跡へと到着
そうこうするうちに、道もなだらかになりました。
やっとのことで、ふもとのお屋敷跡へ到着しました。

ドラマや映画で描かれるお殿様やお姫様は、山の上から城下を見渡したりしているイメージですが、実際のところ普段はお城のふもとのお屋敷で生活していたようです。
考えてみれば、そうですよね。
生活物資をいちいち山の上まで運んでいたのでは、面倒でなりませんからね。
ということで、この日は帰途につきました。
次回は、もう一つの尾根筋の道を小谷山山頂まで登った話です。
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