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【岐阜】関ヶ原バイパス沿いの岡山烽火場って何ですか? その2 (丸山狼煙場篇)

名所史跡めぐり
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ボクは関ヶ原の戦いで有名な、岐阜県不破郡関ヶ原町(ふわぐん せきがはらちょう)に住んでいるので、よく自動車に乗って関ヶ原バイパスを通ります。

近年になって関ヶ原バイパスの北側の山に幟(のぼり)が立てられ、道路沿いには「岡山烽火場」への案内板が設置されるようになったので、ようやく現地まで登ってきました。

まずは岡山烽火場のふもとの丁字路から北に入っていって、丸山園地駐車場に自動車を停め、案内板に従って、岡山の上に登ってきました。

岡山烽火場は、戦況を見るのに最適

岡山烽火場(おかやまのろしば)は関ヶ原の戦いのときに、東軍の竹中重門(たけなか しげかど)と黒田長政(くろだ ながまさ)が、ともに陣を置いた場所です。

竹中重門は当時、関ヶ原一帯も治めていたので地の利があり、ここを陣地に選びました。

竹中重門と黒田長政は、それぞれ竹中半兵衛と黒田官兵衛の嫡男です。
関ヶ原町史跡案内図
関ヶ原町史跡案内図

この小高い丘からは、西軍大将の石田三成(いしだ みつなり)が陣を置いた笹尾山や、後に東軍へ寝返った小早川秀秋(こばやかわ ひであき)が陣を置いた松尾山が一望できます。

当時はまだ、関ヶ原宿が存在せず民家も少なかったので、中山道北国街道などもよく見え、戦いの状況を把握し易かったことでしょう。

名前の由来は、合図の狼煙を上げたので

丸山狼烟塲 黒田長政・竹中重門陣所古址の石碑
丸山狼烟塲 黒田長政・竹中重門陣所古址の石碑

岡山烽火場という名前は、関ヶ原の戦いが始まったときに、攻撃開始を意味する狼煙(のろし)を上げた場所であることに由来します。

狼煙とは、合図のために火を燃やして上げる煙のこと。
指揮をする戦国武将

なお竹中重門と黒田長政は、ただここから高みの見物をしていた訳ではありません。

自らの隊を率いて、近くに陣を構えていた同じ東軍の武将たちとともに、西軍大将の石田三成がいる笹尾山に攻撃を仕掛けています。

西軍の島左近(しま さこん)隊をなかなか突破できなかったものの、策を講じて何とか西軍を攻略したそうです。

ひっそりと佇む金刀比羅宮

金刀比羅神社
金刀比羅神社

さて「丸山狼烟塲~」と刻まれた石碑の前を東の方へ歩いていくと、金刀比羅神社(ことひら じんじゃ)の社殿がありました。

金刀比羅とは、俗にいう金毘羅(こんぴら)さんのことです。

讃岐国の領主であった生駒一正(いこま かずまさ)が、関ヶ原の戦いでの勝利を願って、地元から持ってきた金刀比羅宮の御祭神の像が祀られています。

関ヶ原の戦いが終わったときに、村人がその像をもらい受けたそうです。

あとがき

岡山烽火場がある丘陵地帯は、「岡山」とも「丸山」とも呼ばれているそうです。

岡山と丸山を比較する

古くから設置してある石碑には「丸山狼烟塲」と刻まれていますし、近くのエコフィールド関ヶ原には「丸山園地駐車場」があり、ふもとの丁字路は「丸山」になっています。

また岡山烽火場に設置してある古びた「関ヶ原町史跡案内図」には、「丸山烽火場」と書かれていました。

一つの場所に複数の名前が付けられていると紛らわしいので、一つに統一して欲しいです。

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