滋賀県近江八幡市沖島町(おうみはちまんし おきしまちょう)には、沖島があります。
日本の淡水湖に浮かぶ島の中で、人の住んでいるただ一つの島なのだとか。
ということで、沖島に渡ってきました。
ひとまず山中の遊歩道を歩いたあとは、湖畔を沖島漁港まで戻っています。

ケンケン山(見景山)登り口から、お花見広場とホオジロ広場を通って、見はらし広場まで来ました。
尾山(宝来ヶ嶽)を越えて


さて見はらし広場からは、さらに尾山頂上を目指して歩いていきました。
弁財天もどこかに祀(まつ)られているようなので、ついでにお参りしていきます。


緩やかな坂道を登っていると、尾山(宝来ヶ嶽)頂上と思われる場所に着きました。
山名板などはありませんが、この先は下り坂が続くばかりです。


尾山(宝来ヶ嶽)を越えたあとは、弁財天を探しながら坂道を下っていきました。
いつの間にか琵琶湖のほとりに出てしまいましたが、一向に弁財天は見つかりません。
弁財天を探して


諦める訳にはいかないので、さらに弁財天を探しながら、琵琶湖のほとりを歩いていきました。
巨岩のある木立のあいだを通り抜けると、ようやく石灯籠と赤い鳥居が現れます。


ところが神社の名前は、「厳島神社(いつくしま じんじゃ)」となっていました。
探していた弁財天ではありませんが、折角なので急勾配の石段を登って、お参りしてくることに。


お参りを済ませて石段を降りてくると、登り口に「弁財天由緒記」と刻まれた石碑を見つけました。
沖島では古くから弁財天が信仰されており、「厳島神社」とも呼ばれているようです。
弁財天は、厳島神社のご祭神である市杵島姫命と同一視されることが多いようです。
太鼓で有名な沖島小学校


さて弁財天の謎も判ったので、つぎは沖島小学校を見に行くことにしました。
延々と続く細長い畑を歩いていると、ときおり野良着姿の島民の女性とすれ違います。


プールと思われる高い白壁の下を通り抜けると、ようやく沖島小学校の校舎が現れました。
玄関先には、沖島幼稚園の表札も並べられています。

以前テレビで見た沖島小学校の子どもたちは、ここで沖島太鼓を練習しているようです。
島外から毎日、わざわざ通船で通ってくる子もいるそうなので、頭が下がりますね。
旧沖島小学校跡地の、おきしま展望台


沖島小学校を見たあとは、おきしま展望台にも登ってみました。
旧沖島小学校の敷地を利用して整備されたそうですが、けっこうな高台になっています。
たまたま「BIWAKO ビエンナーレ 2022」の開催期間中でした。


沖島では江戸から昭和にかけて、石材業も盛んだったそうです。
おきしま展望台ののり面には、旧沖島小学校にも使われていた沖島産の石が再利用されています。
近江国輿地志略. 下(巻49至100) のコマ番号:36/241
国立国会図書館デジタルコレクションより
つぎは、沖島漁港でおみやげを買います。
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