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【福井】旧北陸本線(杉津線)を通り抜けて その2 (大桐駅跡とスイッチバック跡篇)

名所史跡めぐり
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旧国鉄の北陸本線は北陸トンネルが完成する前、敦賀駅と南今庄駅の間を、鉢伏山(はちぶせやま)を避けて海側に回り道しながら、いくつものトンネルを通り抜けていたそうです。

それらは旧北陸本線トンネル群とよばれるのですが、前回はそれを意識しないで通ったので、改めて通ってきました。

JR今庄駅に寄り道して、おみやげを買ったあとは、旧北国街道を通って JR南今庄駅の待合所まで来ました。

JR南今庄駅から大桐駅跡へ

JR今庄駅の待合所から西へ出発すると、すぐに北陸本線と県道207号線は二手に別れます。
北陸本線は、北陸トンネルの中へと入っていきました。

このあたりから県道207号線は、旧北陸本線の跡地を再利用した道路になっているようです。
鉄道を敷くときは、カーブや勾配をなるべく緩やかにしようとするので、すぐ判ります。

大桐駅跡の看板

しばらく走っていると、大桐駅跡(おおぎりえき あと)に着きました。
道路の脇に駐車できるほどのスペースがあったので、そこに自動車を停めました。

大桐信号所から停車場に昇格

旧北陸本線の大桐駅跡
旧北陸本線の大桐駅跡

大桐駅跡には今でも、当時使われていたホームが、部分的に遺(のこ)っています。
一般的なホームに比べると低いのは、道路にするとき盛り土をしたのかも知れません。

そもそも大桐駅は、明治41年に大桐信号場として始まりました。
その数ヶ月後には、地元住民たちのたっての願いで、大桐停車場に昇格したそうです。

煙を出す蒸気機関車

北陸トンネルが完成して、複線電化された新しい北陸本線ができると、旧北陸本線(杉津線)と大桐駅などは、役目を終えて昭和37年に廃止されました。

デコイチの動輪のモニュメント

国鉄D51形蒸気機関車の車輪と動輪
国鉄D51形蒸気機関車の車輪と動輪

大桐駅のホーム跡には、国鉄D51形蒸気機関車(通称:デコイチ、デゴイチ)の動輪が、モニュメントとして設置されています。

第三種車止めに、デコイチの動輪が立て掛けてあるのも洒落ています。

実際の車輪は真っ黒だと思うのですが、それだと道路を走りすぎる自動車に気付かれません。
部分的に銀色の塗料を塗って、現代アートのような車輪に仕上げてありました。

山中信号場跡と待避線跡

大桐駅跡から山中信号所跡へは、さらに県道207号線をいくつかの集落の中を通りながら、西へと進んでいきます。

途中から道が狭くなるので、対向車が来ないか注意しながら進みました。

さて山中のあたりは急勾配ですが、蒸気機関車でも勢いをつければ、峠を越えられました。
しかし旧北陸本線は単線だったので、対向列車があると待ち合わせる必要があります。

ところが急勾配の途中では、貨車や客車があって重いので、停止も再出発も出来ません。

線路

それを可能にするために作られたのが、山中信号所の待避線です。
待避線は水平に敷かれているので、停止も再出発も無理なく出来ました。

折り返し線と山中トンネル

山中トンネル
行き止りのトンネルと山中トンネル

列車を山中信号所の待避線に入れるためには一旦、列車が待避線の入り口を通過しなければなりません。

しかし山中トンネルは下り勾配があるので、その中に列車を入れると後退できなくなります。
そこで充分な長さの水平なトンネルが掘られ、その中に折り返し線が敷かれました。

山中トンネルの左奥にある、折り返し線用トンネルは行き止りです。

山中信号所のスイッチバック

上り列車が待ち合わせる場合

  1. まずは上り列車を折り返し線に入れる。
  2. つぎに上り列車用の待避線まで後退させる。
  3. 下り列車が通過し終わるのを待って、上り列車を出発させ北陸本線に戻す。

下り列車が待ち合わせる場合

  1. まずは下り列車を下り列車用の待避線に入れる。
  2. 上り列車が通過し終わるのを待って渡り線を通り、折り返し線まで後退させる。
  3. 下り列車を出発させ北陸本線に戻す。

つぎは旧北陸線トンネル群をくぐっていきます。

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