岐阜県山県市(やまがたし)には、大桑城跡(おおがじょうあと)があります。
大河ドラマ「麒麟がくる」を見ていたら、美濃の守護大名である土岐氏の山城として名前が出ていました。
すぐに行くと混むおそれがあるので、しばらく時をおいて大桑城跡を訪れてきました。
ときどき他人(ひと)とすれ違いましたが、互いに距離をとり道を譲り合ったので、問題ありませんでした。

帯曲輪から尾根筋を登って、細長い猿馬場を通り抜け、竪堀を横断したあとは、分岐点から急斜面を下りて、切井戸に寄り道し、急斜面を登って古城山登山道にたどり着きました。
古城山登山道を下って
番所跡方面へ 南側下には竪堀 尾根筋を避けて脇道
もう古城山頂上までは 210メートルしかないのですが、その前に番所跡を見に行くことにしました。
歩き始めるとすぐに、南側斜面を下の方へと続く竪堀が現れます。
登山道下の石垣 尾根筋の岩場への登り口 斜面を下りると石積み
その他には登山道の下に石垣が、登山道を離れて斜面を下りていくと石積みが遺っていました。
ただどちらも保存状態が悪いので、そのうち崩れてしまいそうです。
堀切の南側 堀切の北側
さらに歩いていくと、尾根筋の両側に堀切の跡がありました。
かつては尾根筋が切られていたと思われますが、現在は歩きやすいように埋められています。
立て札には「竪堀」と書かれていますが、解説板には「堀切」と書かれていました。
「竪堀」と「堀切」は組み合わせて設置されることも多く、明確に区別できないのです。

近くの木には、城郭考古学者の千田嘉博さんが大桑城跡を訪れた際の写真が飾られていました。
NHK BSプレミアム「英雄たちの選択」の再放送を見たばかりだったので、嬉しかったです。
馬場への長い寄り道
馬場への入り口 丘を越えて 雑木林をさらに奥へ
番所跡へ向かっていると、馬場への入り口があったので、ちょっと寄り道していくことにしました。
馬場は思いのほか遠くて、雑木林の中をしばらく歩くことになります。
伝「馬場」 杉坂峠への案内
ということで、馬場だと伝えられている場所に着きました。
山の中にしては奥行きがあってかなり広いので、馬を慣らすのにうってつけの場所だと思われます。
伝「馬場」の立て札の近くには、杉坂峠を指し示す案内もありました。
ふもとまで下りるつもりはありませんが、最初の方だけでも見に行くことに。
馬場から杉坂峠の方へ
杉坂峠は右下へ 斜面の下には堀切 堀切の土橋を渡って奥へ
馬場を奥へ歩いていくと、杉坂峠は右の方だと指し示す案内がありました。
斜面の下を見ると細長い溝があって、地面に「堀切」と書かれた立て札が立てられています。
斜面を下りていくと、堀切の向こう側が平らな曲輪跡になっていました。
あたりは雑木林になっていますが、奥の方へ歩いてみることにします。

するとすぐに「登山道」と書かれた案内が、木に括(くく)り付けられているのを見付けました。
この先にも曲輪群は続いているようですが、引き返すのが大変そうなので戻ることに。
馬場先端の南斜面へ
馬場先端の南曲輪 丸みを帯びた尾根筋 倒木を越えて
馬場の上まで戻ったら、今度は馬場先端から南側へ伸びる曲輪跡を歩いてみました。
最初のうちは平らでなだらかな斜面だったのですが、次第に丸みを帯びた尾根筋へ。
倒木を越えて下りてみましたが、その先は草木が生い茂っており、簡単に進めなくなっていました。
仕方なく来た道を戻ることに。

ちなみに馬場先端から南側へ伸びる曲輪跡を歩いていると、下の方から人の話し声が聞こえてきました。
そのまま斜面を上手く下りていけば、番所跡にたどり着けたかも知れません。
つぎは古城山登山道を通って番所跡まで行きます。
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