瀬戸内海に浮かぶ島じまは、気候が比較的安定しており、観光地として賑わっています。
しかし戦争の最中には、広大な内海の中なので、秘密裏に軍事施設が造られていました。
そんな軍事施設が造られていた島に、広島市竹原市(たけはらし)の大久野島(おおくのじま)があります。

高校の修学旅行のとき、フェリーで大久野島に渡って、リゾートホテルに泊まったのですが、現在は「ウサギの島」としても有名になっているようです。
秘密にされた大久野島
戦時中、大久野島は旧日本軍の毒ガス製造の拠点だったそうです。
その存在は軍事機密として隠されており、地図にも載せられることがありませんでした。
大久野島には工員養成所があって、近くの町や村から見込みのある少年たちが集められます。
毒ガスの製造に必要な知識を勉強をして、毒ガス工場の工員になっていきました。

毒ガスの製造工程は、かなり複雑です。
工員の中には手順を間違えて、液体が体にかかり、重症を負った人もいたそうです。
さまざまな種類の毒ガス
大久野島の毒ガス工場では、次のような毒ガスが造られていました。
- びらん剤 …… 皮膚だけでなく、吸い込むと呼吸器もただれさせる。
- 嘔吐剤 ……… 激しい嘔吐や咳、くしゃみを引き起こさせ、催涙効果もある。
- 催涙剤 ……… 催涙効果がある。

その多くは日中戦争の際に、中国で使われたそうです。
現在も遺棄された化学兵器を掘り起こしたりして、被害に遭う人がいるようです。
他国の領域に勝手に遺棄された化学兵器は、化学兵器禁止条約に基づき、その処理が遺棄した国に義務付けられています。
高校の修学旅行でフェリーに乗って

そんな大久野島に、高校の修学旅行で行ったことがあります。
昼間は広島市の原爆ドームや原爆資料館(広島平和記念資料館)に行っていたので、乗船したフェリーが大久野島に着いたのは夕方のことでした。
桟橋からホテルまで歩いていくと、ホテルの前の道路にはヤシの木やソテツが植えられていたので、まるで南国の島に来たような気分になります。
ちなみにその当時はまだ、ウサギの姿がありませんでした。

広場でキャンプファイア

夕食を食べた後はホテルの前の広場にいって、みんなでキャンプファイアをすることに。
直前に、大久野島には旧日本軍の毒ガス工場があったことを聞かされていたので、広場の近くにある建物がすごく気になっていたのを覚えています。
調べてみるとその建物は、旧日本軍の毒ガス研究室跡でした。
今考えると、当時本当に大久野島に遺棄化学兵器が無かったのか、ちょっと不安です。
現在のキャンプファイヤー場は、場所が変わっています。
あとがき

中日新聞を読んでいたら当時、大久野島の毒ガス工場に勤めて、毒ガスを製造していた人が、未だに良心の呵責(かしゃく)に苛(さいな)まれているという記事を読みました。
現在は、学校などから依頼されて当時のことを証言しに行ったり、中国を何度も訪問しては直接住民に謝罪しているそうです。
いつか世界から、戦争が無くなる日が来るのでしょうか。
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