以前、滋賀県長浜市(ながはまし)を流れる草野川に沿って上流へ行ったとき、浅井文化スポーツ公園の入り口に、神社の鳥居と岩崎山の登山口を見付けました。
そのときは素通りしてしまったのですが、何だか気になります。
ということで今回、岩崎山に登って乗倉古墳群を見て歩き、ついでに大依山(おおよりやま)の林道を歩いて北の方へ下り、草野川に沿って帰ってきました。

岩崎山登山口へ
岩崎山の登山口へ行くため、まずは国道365号線の丁字路「草野川橋北詰」で北東へ曲がって、浅井文化スポーツ公園の入り口にある駐車場に、自動車を停めました。

以前通りがかったときは、秋葉神社がある岩崎山のふもとに自動車が停めてあったのですが、進入禁止になってしまったようです。

秋葉神社の鳥居の前まで来ると、地元の方が丁寧に、参道の両脇に除草剤を撒いていました。
道理であたりにほとんど草が生えていないはずです。
秋葉神社の社殿の前も陣地に
さて岩崎山に登り始めると雨が降っていたようで、空気がねっとりと体にまとわり付きます。
それでも気にせず登っていくと、すぐに秋葉神社の社殿に着きました。

この場所は姉川の戦いの直前に、浅井長政(あざい ながまさ)が陣を置いたと推定されている場所だそうです。
なるほど、ふもとを流れる草野川(別名、妹川)が天然の堀になっており、遠く横山の手前を流れる姉川周辺に陣を敷く敵の様子も、手に取るように見えたであろうと想像できます。
乗倉古墳群を利用した浅井軍の陣跡

さらに登っていくと、乗倉古墳群の最初の古墳である 1号古墳に着きました。
ここも姉川の戦いのときに、浅井軍が陣を敷いた場所のようですが、雑草だらけなので何が何だかよく判りません。
戦国時代は武将たちに、古墳を保存するという概念が乏(とぼ)しかったのでしょうか。
戦場に小高くなった場所があると、陣地として都合がいい形に変えてしまったようです。
本来は古墳であったのに大改築されて、それと判らなくなった古墳も多いのかも知れません。
次に見付けた乗倉古墳群 2号古墳は、1号古墳からかなり離れた場所にありました。
岩崎山の頂上の古墳
岩崎山の頂上まで登ってくると、山頂は乗倉古墳群 3号古墳になっていました。
ここでも古墳は大幅に改築されていて、陣跡になっているようです。

敵の軍が攻め込んできたときに、2方向から挟み撃ちに出来るように、山頂の東側には犬走りが作ってありました。
犬走りとは、犬しか走れないと表現されるほど、細い通り道のこと。
戦国武将にとっては、生きるか死ぬかの瀬戸際なので、古墳の保存はおろかその存在自体も知らなかったのでしょうね。
なだらかな山道に点在する古墳群
岩崎山の頂上を越えるとすこし下って、しばらくはなだらかな山道が続きます。
処どころに古墳があるので、たまにすこし登って下りますが、大したことはありません。
ここまで来ると、特に陣地として使われた形跡が残っていないようで、古墳を示す標識以外は見当たりませんでした。
さらにとなりの大依山の方へ歩いていきます。
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