以前、滋賀県長浜市(ながはまし)を流れる草野川に沿って上流へ行ったとき、浅井文化スポーツ公園の入り口に、神社の鳥居と岩崎山の登山口を見付けました。
ということで今回、岩崎山に登って乗倉古墳群を見て歩き、ついでに大依山(おおよりやま)の林道を歩いて北の方へ下り、草野川に沿って帰ってきました。

岩崎山の頂上から下りながら、乗倉古墳群の前方後円墳と山越えの「寺参り道」、大きな円墳を見付け、次第に草木が生い茂る中を歩いていくと、大依山の林道に出ました。
朝倉景健の本陣跡へ

さて大依山の林道に出ると、すこし離れたところに白くて四角い物を見付けました。
近づいてみると案内板には「朝倉景健本陣跡」と書かれています。
朝倉景健(あさくら かげたけ)のことは知りませんが、とりあえず見に行くことにしました。

すぐに着くのだろうと高をくくっていたのですが、曲がりくねった林道を歩けども歩けども、なかなか次の看板が見付かりません。
もう諦めて帰ろうかと思い始めたころ、ようやく次の案内板を見付けました。
朝倉景健本陣跡への入り口

見付けた案内板は有ろうことか、腰ほどの高さまで伸びた雑草の中を指していました。
ちゃんと草が刈ってあれば道が見えるのでしょうが、まったく道が見えません。

この日は雨が降った直後だったので、雑草には水滴がたくさん付いています。
こんなところを歩いたら、ズボンがすっかり濡れてしまいます。
「きっとこの先にも、朝倉景健の本陣跡に行ける道があるはずだ」と勝手に予測して、さらに林道を歩くことにしました。
案内は無いけどきっと

するとしばらく行ったところに案の定、本陣跡へと続いていそうな道がありました。
倒木がたまに道を塞いでいるので、すこし苦労しますが何とか濡れずに歩けます。

奥へ進んでいくと、谷側が明るくなっており、通り道が付いています。
倒木を避けて行ってみると、かなり開けた場所に出ました。
送電線用の鉄塔を建てるにしては広すぎるので、きっとここが朝倉景健の本陣跡でしょう。
遠くの方には浅井長政(あざい ながまさ)の居城があった小谷山がよく見えます。
姉川の戦いで、朝倉景健と浅井長政はともに戦って、織田信長と徳川家康に負けました。
キャンプ場の跡地を発見
さて朝倉景健の本陣跡も見られたようなので、林道に戻ってさらに上っていきます。
しばらく上っていると峠を越えて、林道は下り始めました。
構わず林道を下りていくと、山奥にもかかわらず「花木園」という施設跡や、長らく誰も歩いていないであろう丸太の階段があります。
その近くには、使っていないのにきれいに草が刈られたキャンプ場も見付けました。
案内板を見ると、旧全国林業構造改善協会によって造られた施設のようです。

他にはフィールドアスレチックやハイキングコースまであるようなので、直前に見掛けた施設もここの一部だったのでしょう。
せっかくお金をかけて造ったのに、全国林業構造改善協会の廃止に伴って、放置されてしまったのかも知れません。
ふもとに下りて草野川沿いを歩きます。
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