滋賀県長浜市にある小谷山(おだにやま)頂上には、大嶽城跡(おおづくじょうあと)があります。
以前、ふもとの清水神社から、山崎丸跡と福寿丸跡を経由して登ってきました。
小谷山には、浅井長政(あざい ながまさ)に至る浅井氏三代の居城であった小谷城跡があります。
初期の小谷城の本丸(主郭)は、大嶽城跡に置かれていたと考えられています。
ということでふたたび、小谷山の大嶽城跡に登ってきました。
脇坂安治生誕地から大嶽追手道(初期小谷城大手道)を登ってみたのですが、途中はヤブになっていました。

小谷城戦国歴史資料館の駐車場へ
まずは、小谷城戦国歴史資料館の駐車場へ向かいました。
国道365号線の交差点「郡上南」で北へ入って、すぐのカーブで直進すれば着きます。


大むかしに来たときは確か、保育園がポツンとあるだけの寂しい場所だったのですけどね。
大河ドラマ「江 ~姫たちの戦国~」が放送されてからは、すっかり様変わりしてしまいました。


ということで、大手門と名付けられた門をくぐって北国脇往還に出てきました。
とりあえず、つぎの宿場町である郡上宿を目指して歩いて行きます。
北国脇往還の郡上宿を通って


ということで北国脇往還を歩いていくと、程なく郡上宿に入りました。
曲がり角の屋敷の角を切り欠いたところには、高札場跡の石碑が建てられています。


郡上宿の中は、むかしならがの蔵の鍵のように、街道が直角に曲がりながら続いていました。
途中には、明治時代の学校跡や天牌奉安地の石碑もあります。
天牌奉安地とは、天皇の位牌を安置して奉った場所という意味。
また郡上宿の中には、一里塚跡もありました。
かつては街道の両脇に、木の植えられた塚が築かれていたようです。
初期小谷城大手道を登って


さて郡上宿から国道365号線に出て北の方へ歩いていくと、道端に初期小谷城大手道の石碑がありました。
すぐ近くには、脇坂甚内安治侯生誕地の背の高い看板も立てられています。
地名の「丁野(ようの)」は、丁(よほろ)が転訛したもので、大むかしの公的な人夫のことです。
近江国輿地志略. 下(巻49至100) のコマ番号:139/241 国立国会図書館デジタルコレクション


ということで、集落の中を通る細い坂道を登っていきました。
集落を通り抜けると、獣害防止柵が設けられていたので、人間用の小扉を通ってさらに進みます。


すると、脇坂甚内安治侯生誕地に着きました。
広場があるので自動車も停められそうですが、道路が細い上に獣害防止柵があるので難易度は高そうです。
脇坂安治は、賤ヶ岳の七本槍に数えられる武将です。
脇坂安治生誕地&稲荷神社跡


まずは神社の石段を登って、脇坂安治 産湯の池を見に行きました。
そもそもは稲荷神社(五社大明神)のお手水池だったので、境内にあります。

つぎに稲荷神社跡を見に行くと、石碑の脇に小さな祠(ほこら)がありました。
敷地がかなり広大なので、かつてはきっと立派な本殿や大きな拝殿が建てられていたのでしょうね。


稲荷神社跡から戻ってあたりを歩いていると、脇坂甚内安治屋敷跡の石碑を見つけました。
実際の屋敷は、石碑から一段下がった平坦地に建てられていたそうです。
つぎは小谷山を登っていきます。
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