五個荘(ごかしょう)の近江商人(おうみしょうにん)に興味があったので、滋賀県東近江市(ひがしおうみし)の五個荘を訪ねることにしました。
外村繁(とのむらしげる)邸の土間の見学を終えて、いよいよ外村繁邸の座敷に上がります。
ようやく座敷に上がります

座敷に上がると、床の間の掛け軸の中の三匹の鯉がお出迎えです。
下に置かれた団扇には、祇園祭(ぎおんまつり)の山鉾(やまぼこ)が描かれています。
ただ、山鉾の上の赤いとんがり部分が切れていますので、作り変えたものでしょうね。

そのとなりの部屋は、小説家だった外村繁さんの執筆部屋になっています。
縁側からふりそそぐ光を灯りにして、小さな座卓で執筆活動をされていたようです。

さらに屋敷の奥へ進むと、女子衆(おなごし)が集う、髪結いの間があります。
ガラス戸の桟(さん)の数を可能なかぎり減らして、電灯を点けなくても髪結いをするのに、十分な明るさになるようにしてあります。
外村繁文学館の一階

この奥が、内蔵(外村繁文学館)のようです。
入り口の脇に、スリッパが用意してありましたので、もちろん履いて入場しました。

入ってすぐの所には、外村繁さんの年表と出版された書籍が展示してあります。
ただ残念なことに、一冊も読んだことがないので、どんな内容の本なのかは分かりません。

その奥は、外村繁さんの家族との写真、習字を練習した半紙やテニスラケットが展示してあります。
外村繁さんは、未熟児として生まれたそうで、なかなか産声を上げなかったそうです。
外村繁文学館の二階

よくお店に売っている階段箪笥は、手で持てる大きさなので、小さなものしか入りません。
しかし実物は、引き戸なども付いていて、いろいろと大きなものも収納できそうです。
では、階段を登ります。

外村繁文学館の二階には、外村繁さんが梶井基次郎や中谷孝雄などの仲間たちと一緒に作っていた、同人誌「青空」についての展示コーナーになっています。
外村繁さんの本名は、そもそも「外村茂」と書きます。

川端康成の同人誌「文芸時代」から依頼されて、原稿を書いて送ったのですが、著者として「外村繁」と間違えて印刷されたので、それ以降ペンネームを変えたそうです。
外村繁邸の勉強部屋

では母屋に戻ってきて、今度は二階を探索します。
ところでこの階段って、ふすまや引き戸を閉めると、すっかり隠れて面白いですね。
二階に上がると、外村繁さんの勉強部屋があります。
明治・大正期の子ども時代に、勉強部屋と勉強机を与えられて勉強していたなんて、分家とは言え、いいところのお坊ちゃまだったんですね。
階段を降りるときに気がついたのですが、階段の横の土壁がツルツルピカピカです。
職人の手で磨かれているそうなのですが、詳しいことは忘れてしまいました。
簡単に言うと、子どもが長時間かかって作る、丸くてピカピカの泥だんごと同じです。
昭和の大女優の団扇
では最後に、昭和の大女優の団扇(うちわ)を見ていきます。
昭和と言っても、みなさんお顔が若いので、昭和30年台頃の写真が元なのでしょうか。

現在、美空ひばりさんや森光子さんのように、すでにお亡くなりになった方もいますが、まだまだ元気に活躍されている女優さんもいます。
これからも益々元気にご活躍されることを願っております。
あとがき
五個荘の近江商人と言えば今まで、てんびん棒を肩に諸国を行脚(あんぎゃ)するイメージしかありませんでした。

しかし、スキー毛糸、ワコールや御幸毛織株式会社のように、よく知っている会社を立ち上げた方もいたようで、とっても驚かされました。
今度は、日野商人や高島商人など、別の場所の近江商人も見てみたくなりました。
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