五個荘(ごかしょう)の近江商人(おうみしょうにん)に興味があったので、滋賀県東近江市(ひがしおうみし)の五個荘を訪ねることにしました。
ただ今、藤井彦四郎邸の客殿を拝観していたところです。
琵琶湖を模した池がある庭
奥琵琶湖方面 大津方面
さて、客殿の上座の方まで来ると、縁側から庭に降りられるようになっています。
この庭の池は、近江商人というだけあって、琵琶湖の形を模しているそうです。
ただこの池、五個荘のあたりから見た琵琶湖の景色というわけではなくて、マキノ高原のあたりから見た景色だと思われます。

マキノ高原の近くには、水運の要である海津大崎があります。
昔は水運が発達していたので

まだ、陸上を輸送する手段が発達していなかった時代、大量に物資を運ぶときには、船が活躍していました。

それゆえ、越前方面の物資を京都に運ぶ際は、琵琶湖の北側にある海津大崎から船に乗せて、琵琶湖の南側にある大津まで水上輸送し、京都に運び入れていました。
勝手な憶測ですが、藤井彦四郎さんは将来的に、琵琶湖の水運を手中に収めることまで、目論(もくろ)んでいたのではないでしょうか?
琵琶湖を模した池の周りを散策
では順路に沿って、湖西方面から池の周りを散策します。
ついでに、近江八景(おうみはっけい)を再現しているかどうか探してみました。
- 石山の秋月(いしやまのしゅうげつ) … 石山寺(大津市、地図)
- 勢多の夕照(せたのせきしょう) ……… 瀬田(勢多)の唐橋(大津市、地図)
- 粟津の晴嵐(あわづのせいらん) ……… 粟津の松原(大津市、地図)
- 矢橋の帰帆(やばせのきはん) ………… 矢橋(草津市、地図)
- 三井の晩鐘(みいのばんしょう) ……… 三井寺(大津市、地図)
- 唐崎の夜雨(からさきのやう) ………… 唐崎神社(大津市、地図)
- 堅田の落雁(かたたのらくがん) ……… 浮御堂(大津市、地図)
- 比良の暮雪(ひらのぼせつ) …………… 比良山地(地図)
※本来は、間に「の」が入りませんが、見やすくするため入れています。
三井の晩鐘、堅田の落雁

しばらく歩くと、琵琶湖疏水の入り口がある三井寺(みいでら)のあたりに着きました。
琵琶湖の北の方を見ると、西側には堅田(かたた)の浮御堂(うきみどう)が見え、琵琶湖の中には沖島が浮かんでいます。
粟津の晴嵐、勢多の夕照

さらに進むと、琵琶湖から唯一流れ出る川、瀬田川(せたがわ)に架かる瀬田の唐橋(からはし)に着きました。
瀬田の唐橋は、いつも車が渋滞するのですが、その日はめずらしく空いていました。
なお粟津の松原も、風が凪(な)いでいるので穏やかです。
小舟入の常夜灯

ちょっと場所が違いますが、小舟入(こぶないり)の常夜灯(じょうやとう)らしきものも建っています。
石山の秋月

さて、もう少し南へ歩いてくると、石山寺(いしやまでら)がある伽藍山(がらんやま)への登山道が見えてきました。
石山寺というだけあって、石段の横は大石だらけになっています。

その石段を登って、伽藍山の頂上までたどり着きました。
伽藍山の頂上からは、手入れの行き届いた藤井彦四郎邸の庭を一望できます。
湖東三山?

つぎは、琵琶湖の東側を歩いてみました。
ただ、木が鬱蒼(うっそう)と生い茂っていて、何が何だか、よく判りませんでした。
巨大な燈籠(とうろう)を見かけましたが、永源寺や湖東三山のことだったのですかね。
木之本宿

さて、琵琶湖の東側を北上してきて、とうとう木之本宿のあたりに着きました。
道標の右側には、北国海道という文字が書いてあり、越前の方角を指し示しています。
池を一周し客殿へ

ということで、池の周りを一周回って、藤井彦四郎邸に戻ってきました。
あまりにも大きい池なので、申し訳ありませんが最後の方は半ば、飽きていました。

最後に、池を振り返ると、木の陰に隠れている、竹生島(ちくぶしま)を発見しました。
その他の近江八景はどこに?

ちょっと近江八景を探しながら歩いてみましたが、「比良の暮雪」「唐崎の夜雨」そして「矢橋の帰帆」は、よく判りませんでした。
では、ふたたび屋敷の内部を拝観することにします。
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