五個荘(ごかしょう)の近江商人(おうみしょうにん)に興味があったので、滋賀県東近江市(ひがしおうみし)の五個荘を訪ねることにしました。
ただ今、藤井彦四郎邸の山小屋風の洋館を見終わったところです。
近江商人の質素・倹約
順路に沿って、つぎは母屋(おもや、主屋)へと続く廊下を歩いていきました。

すると廊下の壁に、近江商人の袢天(はんてん)などの装束が展示してありました。
一番手前の「もじり袢天」とは、着物の上に着る外套(がいとう)の袢天のことです。

近江商人は、質素倹約の家訓に従って、着物が破れたりしてもすぐには捨てず、継ぎ当てなどをして、また着ていたそうです。
古いお金などお金に関するもの

さらに進むと、古銭や古札、お金を素早く正確に数えるための銭枡など、お金に関するものが展示してありました。
岩倉具視 伊藤博文 聖徳太子
ショウケースの上段右の方に展示してある、岩倉具視の五百円札や伊藤博文の千円札は、昔よく手にしていましたので、懐かしです。
移設された藤井彦四郎家の母屋

さて、別の場所から移築されたという、母屋の縁側に到着しました。
本屋とありますが、本を売っているわけではなく、母屋のことを指すこのあたりの方言です。

母屋の中へ入ると、藤井彦四郎さんに似せた人形が置いてあります。
往時は、夜に明かりを消した後、本人の代わりに座らせて、泥棒よけにしたそうです。

暗闇の中で見ると、あたかも本人が座っているようで、さぞや泥棒もビックリしたことでしょう。
台所には女中部屋も付いてます

つぎに台所へ回ると、瓶(かめ)がいっぱい並べられていて、一気に生活感が出てきます。
窓際の土瓶って、昔からあそこに隙間なく並べてあったのですかね?
最近は、生活感を出したくないなどと言って、収納に隠したがる人がいますが、これだけあると隠すのは無理でしょうね。

さて、台所のすぐ横にある女中さんの部屋を見ると、部屋の片隅に機織り機(はたおりき)が置いてあります。
女中さんって、昼間はいろいろ用事があって忙しいはずです。
夜に時間を見つけて、機を織っていたのでしょうか。
勝手口から外へ

つぎに勝手口から外へ出ると、昔の民具が展示してあります。

この中で一番気になるのは、右端の巨大などんぐりのような桶風呂ですね。
これは、滋賀県の湖北から湖東にかけて、むかし発達した蒸し風呂の一種です。

あまり定かではありませんが、ボクには、次のような断片的な記憶があります。
小さな頃に母と、裸で木製のせまい空間の中に入り、扉を閉めたら暗かったというもの。
ボクの母の実家は、滋賀県の湖東の坂田郡山東町(現、米原市)にあります。
だから多分それは桶風呂の記憶なのでしょうね。
ボクの祖母も使っていた毛糸編み機

さて、ふたたび母屋に戻って、最後に見つけたのは、毛糸編み機です。
手で、白く横に長い電話機のようなものの取っ手を持って、左右にスライドさせて編みます。
どの編み機でもできたと思うのですが、パンチカードに穴を開けて模様をデザインし、それを機械にセットして編むと、パンチカードの通りに毛糸の模様編みができました。

ボクの亡くなった祖母も生前、よくこのような機械(ブラザー編み機かな?)を使って、毛糸でセーターやベストを編んでくれましたよ。
ではつぎは、近江商人博物館へ行きます。
コメント