五個荘(ごかしょう)の近江商人(おうみしょうにん)に興味があったので、滋賀県東近江市(ひがしおうみし)の五個荘を訪ねることにしました。
金堂(こんどう)のまち並みを見ながら、中江準五郎邸を見に行きます。
中江準五郎邸で人心地

さて、金堂まちなみ保存交流館(旧中江富十郎邸)から、北東へあきんど通りを進んでいくと、ほどなく中江準五郎邸に到着しました。

表門をくぐり抜けて玄関まで歩いていくと、係りのお姉さんが笑顔で出てきてくれて、「暑かったでしょう?」と団扇を 1枚サービスしてくれました。
さらには、ペットボトルの水までご馳走してくださったので、人心地がつきました。
熱中症対策のミネラルウォーターなのかな?
その日は大変暑かったので、折角来館してくれた人が、熱中症になって館内で倒れないように、水を配布していたのでしょうか。

その水は、500ミリリットルのペットボトルに入った「鈴鹿山系の天然水」という、ミネラルウォーターです。
チェリオジャパンという、清涼飲料水メーカーの滋賀工場(東近江市)で作られました。
とにかく、大量に汗をかいていたので、水分を摂る機会が得られてよかったです。
水をご馳走になっていると、係りのお姉さんが、三中井百貨店について話し出しました。
急成長を遂げた三中井百貨店
三中井(みなかい)というのは、中江三兄弟ともう一人の親族の出資で創業した商店の商号で、一説によると出資者 4人の名前から付けられているようです。

最初は、三中井商店という名前で始まったのですが、三中井呉服店、三中井百貨店と名前を変えながら発展していきました。

「三中井百貨店?聞いたことがないよ!」と思われたのではないですか?
それもそのはず三中井商店は、日露戦争の最中に朝鮮半島の大邸(テグ)で、立ち上げられたのを皮切りとして、急速に発展していったデパートの名前なのです。
敗戦とともに三中井百貨店は消滅!

しかし、末弟中江準五郎も含めた中江四兄弟が相次いで亡くなり、1945年(昭和20年)に、日本が太平洋戦争に敗戦したことにより、三中井百貨店は消滅してしまいました。
組織の成長があまりに急だったため、近江商人の「三方よし」の精神を受け継ぐ後継者を育てられなかったことが、消滅の要因であると考えられています。

なぜ朝鮮半島ばかりに、店舗を展開したのでしょうね。
「卵を一つの籠(かご)に盛るな!」ということわざは、まだ無かったのでしょうか?
一階の掛け軸は中国の古典から
さてそれでは、屋敷の中を見て回ります。

無数の鶴が描かれた金屏風の奥に見える掛け軸には、「自彊不息」の文字があります。
これは、藤井彦四郎邸の洋館でも見た、儒教の教えを説いた五経のうちの一つである、易経の中の一節です。
中江準五郎さんは「自ら進んで努力し、怠けない」と自分を戒めていたのでしょうか?
新しい掛け軸のようなので、きっとそれは違いますね。
小幡の土人形

屋敷の奥の方へ向かうと、たくさんの福助人形が出迎えてくれました。
むかしは、招き猫と同じ様に縁起物として、よく店頭に飾られていたのですけどね。

ここから先は、五個荘の小幡町(おばたちょう)で作られた土人形の展示コーナーです。
江戸時代に五個荘の飛脚が、京都?の伏見人形の作り方を習ってきたのが、始まりです。
昔話シリーズ 漫画を元にしたものまで
現在では、いろいろと進化して、個性豊かな人形も作られるようになっています。
二階の掛け軸は平家物語をもじって

階段で二階に上がると、掛け軸には、「奢者必不久」の文字があります。
これは、琵琶法師が弾き語りをすることで有名な、平家物語の中の一節をもじっています。

本来の「驕」の代わりに、「奢」を使っているのは、中江準五郎さんが「贅沢な生活をする者は必ず滅びる」と家族を諭していたのしょうか?
なお、一階と二階の掛け軸を書かれた書道家の方は、同じ方でした。
つぎは、外村宇兵衛邸に行きます。
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