米原市の公式ウェブサイトでは、トレッキングマップがPDF形式で無料配布されています。
それによると米原市内の山やまには、トレッキングコースが整備されているようです。
ということでトレッキングマップを頼りに、番場宿から竜宮山と八葉山、西坂山を経由して、番場宿まで一周してきました。

尾根筋鞍部の送電鉄塔から西坂山へと登ったあとは、そのまま下って松尾寺山砦跡の中を歩き、地蔵峠の一本杉とその根元にある大日如来の石像を見ました。
えみの地蔵ふたたび
地蔵峠から西坂方面へ ピンク色のテープが道しるべ えみの地蔵への案内板
地蔵峠からふもとまでは一本道ですが、ピンク色のテープを頼りにつづら折りの坂道を下っていきます。
すると道端に、見覚えのある「えみの地蔵」と書かれた案内板がありました。
えみの地蔵 えみの地蔵の石の祠 えみの地蔵の石仏
案内板が指し示す方へ登っていくと、石灰岩を積み重ねて造られた祠(ほこら)がありました。
祠の中には、錫杖を持った地蔵の石像と、地蔵峠の大日如来にも似た坐禅姿の石像があります。
近くの解説板によると、地蔵の口元が微笑んでいるように見えるとのこと。
ただ地蔵の石像は石灰岩で造られているので、全体的に溶けており、よく判りませんでした。
近江輿地志略で確認してみると
解説板を見ると、近江国輿地志略(おうみのくに よち しりゃく)に紹介されているそうです。
探してみると「咲地蔵石像 同山(松尾寺のある山)の半腹にあり」とありました。
近江国輿地志略. 下(巻49至100) のコマ番号:111/241
国立国会図書館デジタルコレクションより
ただ「咲地蔵石像」には、「エミノヂザウ」などとフリガナは振られていません。
後世の人が、勝手に付けた読み方だと思われます。

ボクなら、「境地蔵(さかひ の ぢざう)」から「咲地蔵(さき の ぢざう)」への転訛だろうと考えます。
松尾寺村と西坂村の境目を示すため、その境界線上に置かれた目印ではないでしょうか。
えみの地蔵からの眺め

えみの地蔵からの景色は素晴らしく、琵琶湖とその向こうの比良山系まで見えました。
前回も来ているので、素通りしようかと思ったのですが、来てみてよかったです。
ちなみに周囲には、たくさんの石灰岩が地面から突き出していました。
むかしの人は、手短にあるこれらの石灰岩を利用して、石像や丁石を作ったようです。
西坂集落を経て番場集落へ
送電鉄塔の横の急な下り坂 前方に西坂集落 お寺の横を通って
えみの地蔵を見たあとは、丁石を数えながら、ふもとへ下りていくだけです。
ふもとの西坂集落が見えてくると、春先なので、サクラの花が満開でした。
さらに西坂集落から番場宿へは、ただひたすらに歩いていきます。
工場地帯を通って高架下をくぐり、三叉路で番場宿のある左の方へ曲がりました。
中山道久禮の一里塚 中山道番場宿の石碑
中山道久禮の一里塚までくれば、番場宿はもうすぐです。
旧中山道でも良いのですが、今回は樋口岩脇線を歩いて番場宿に戻りました。
あとがき
はじめて鎌刃城跡を歩いたときから、東側に連なる山やまが気になっていました。
標高が高いので、無理だと思っていたのですけどね。
出発地点である鎌刃城跡駐車場の標高が高いので、大丈夫でした。
松尾寺山頂上付近を回ったり、鎌刃城跡から八葉山を経由して地蔵峠まで歩いたりできました。

残るは坂口から松尾寺旧本堂跡を経由して醒井養鱒場までのコースです。
どうやって回るかは、ちょっと只今思案中です。
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