岐阜県加茂郡坂祝町(かもぐん さかほぎちょう)には、猿啄城跡(さるばみじょう あと)があります。
以前、関市の迫間不動尊から明王山に登ったとき、そこへの下り口を山頂で見つけました。
新撰美濃志(コマ番号:339~340/446)によると城名は、かつての地名に由来するようです。
織田信長が猿啄城を攻め落としたとき、始まりが良かった、と村名を「猿啄」から「勝山」へ改めています。
ということで、猿啄城跡まで登ってきました。
そのまま明王山頂上まで登って、帰りは勝山経由で戻っています。

猿啄城展望台の駐車場へ
まずは、猿啄城展望台の駐車場へ向かいました。
県道207号線(旧国道21号線)の丁字路「勝山」で北へ曲がって、集落の中へ入っていきます。
すこし走るとお寺の手前に案内板があるので、左(西)へ曲がって細い道を進みました。
「猿啄城跡入口」と刻まれた石標の前を通ったあとは、自動車が一台しか通れないせまい橋を渡ります。


なお猿啄城展望台の駐車場には、手前の第2駐車場と奥の第1駐車場の 2ヶ所があります。
奥の第1駐車場は、平日でも自動車が結構停められていました。
猿啄城展望台への登山道入り口


さて猿啄城展望台第1駐車場から舗装された林道を歩き始めると、すぐに登山道入り口がありました。
谷川に架かる赤い橋を渡って、猿啄城跡の遺構と思われる石垣を通ります。


坂祝町役場が登山者数を数えていたので、数取器(タリーカウンター)を 1回だけ押しておきました。
登山者数が一定数を超えれば、役場の予算が下りやすいのかも知れません。
なお松茸山期間中(9月15日~11月15日)は、山に入ることが一切禁止されています。
範囲は勝山区全体に及ぶと思われるので、注意が必要です。
城山頂上の猿啄城跡へ


ということで、城山頂上の猿啄城展望台を目指して登り始めました。
登り始めるとすぐ分岐点に差し掛かりますが、あとでふたたび合流することになります。


山頂まであと150メートルのところを過ぎると、ふもと坂祝町の町並みと木曽川の流れが見えました。
ただ曇り空だったせいか、遠くの方は霞(かす)んでしまって、よく見えません。


程なく、城山頂上の猿啄城跡にたどり着きました。
山頂には、頑丈そうな木造2階建ての展望台が建てられています。
猿啄城展望台からの眺め

折角なので、猿啄城展望台から景色を眺めることにしました。
出来るだけ障害物のない高いところから眺めたいので、階段を 2階へ上がっていきます。


階段を登ってまず正面に見えたのは、JR坂祝駅周辺の景色でした。
登山道の途中から眺めた景色とあまり変わりがありませんが、近くに邪魔な茂みがありません。


右を向くと「日本ラインうぬまの森」として整備された陰平山(かげひらやま)が見えました。
旧中山道は断崖で進めなかったので、木曽川沿いからうとう峠を越えて鵜沼宿へと入ります。


後ろを振り返ると、富加町方面が見えました。
新しい国道21号線は鵜沼宿で旧中山道から離れて、まったく別のところを通っています。
つぎは明王山を登っていきます。
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