岐阜県不破郡関ヶ原町(ふわぐん せきがはらちょう)では、西暦1600年に「関ヶ原の戦い」が起きました。
徳川家康の軍勢(東軍)と石田三成の軍勢(西軍)が戦ったことで有名です。
のちの歴史を左右するほど重要な合戦だったことから「天下分け目の関ヶ原」とよばれています。
今回は関ヶ原の戦いにおいて、石田三成が陣を置いた笹尾山に行ってきました。
関ヶ原の戦いにおいて、石田三成が陣を置いた笹尾山に、南側正面の登り口から登って、山頂の展望台から関ヶ原古戦場の風景を眺めました。
笹尾山の裏手へ

さて笹尾山の見晴台から景色を眺め終わったので、裏手にあるあずま屋の方を見に行ってみました。
ふと奥の草むらを見ると、道が奥へ続いているようなので、行ってみることに。
チェックポイント 左の方へと下る坂道 笹尾山のふもとの案内
草むらへの入り口には、赤と白の四角いチェックポイントも設置されていました。
このあたりは、オリエンテーリングのコースになっているようです。
左へ左へと曲がる坂道を下っていくと、すぐにふもとの集落に着きました。
知らない場所だと思ったのですが、国道365号線沿いにあるレストラン「麓(ふもと)」のすぐ近くです。
石田三成ゆかりの八幡神社
神社の拝殿へ 神社の境内
すこし進むと神社への裏口があったので、ちょっと寄り道してみました。
氏子の方々がきちんと掃除されているようで、境内はきれいな状態に保たれています。

石鳥居から外へ出てみると、地元で祀(まつ)られている八幡神社でした。
由緒書によると、少なくとも江戸時代中期の享保3(1718)年には存在していたそうです。
ちなみに石田三成は戦いの前に、陣をおいた笹尾山のふもとで湯の花神事を行って、勝利を祈ったそうです。
湯の花神事(湯立て)とは、釜で沸かした湯に笹をひたして、身に振り掛けながら祈ること。
八幡神は武家の守護神なので、たぶん石田三成が八幡神のご神体を持ってきたのでしょう。
石田三成が残したご神体を、村人が祀(まつ)ったのが、この八幡神社の始まりだと思われます。
黒田長政と竹中半兵衛が陣を置いた岡山烽火場の近くにある金刀比羅神社では、讃岐の武将から譲り受けた神像が祀られています。
笹尾山を越えて旧登山道をふもとへ

ということで、関ヶ原古戦場がよく見える笹尾山の頂上まで、ふたたび登ってきました。
今度は笹尾山の東側にある旧登山道を通って、ふもとへ下りていきます。
旧登山道の下り口 右へ右へと下って 分岐点(奥)ふもと(右)馬防柵
旧登山道はよく整備してあり歩きやすいのですが、ちょっと狭いのですれ違いにくいのが難点です。
ふもとが近くなると、馬防柵を見に行けるようになっていたので、行ってみました。
馬防柵からの眺め 馬防柵には登らないで 笹尾山旧登り口
馬防柵の内側から下を眺めると、石田三成軍の足軽になったような気分で古戦場を見られます。
周りを遮(さえぎ)るものがないので、敵軍がよく見える分、何だか怖いような気がしました。
あとがき

笹尾山の近くには、関ヶ原 笹尾山交流館があります。
地元のおみやげが買えるだけでなく、鎧兜(よろいかぶと)を着て戦国武将気分を味わえます。
ちなみに笹尾山交流館は、旧関ヶ原北小学校の校舎を再利用したものです。
その南側に広がっている敷地は、かつて運動場だった場所です。
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