滋賀県長浜市木之本町(ながはまし きのもとちょう)には、賤ヶ岳(しずがたけ)があります。
かつて賤ヶ岳一帯では、賤ヶ岳の戦いがありました。
賤ヶ岳の戦いとは、織田信長(おだ のぶなが)亡きあとの後継者をめぐる争いから発展した戦い。
羽柴秀吉(はしば ひでよし)と柴田勝家(しばた かついえ)が戦った。
賤ヶ岳の北側にある余呉湖あたりにはよく来るのですが、余呉湖の西側の尾根筋をまだ歩いていません。
ということで、賤ヶ岳から大平良山(おおひらやま)を経由して堂木山(どうぎやま)まで歩いてきました。

賤ヶ岳頂上西側の山頂展望台脇から、登山道を下って、飯浦切通しを渡ったあとは、大平良山に至る尾根筋を、イノシシのヌタ場まで登って来ました。
ホントに平らな、大平良山頂上
雑木林の中を通って 散らばる石 前方に何やら赤いものが
イノシシのヌタ場からも、緩やかな上り坂が続く雑木林の中を、さらに歩いていきました。
処どころに倒木が横たわっており、避けて歩くこともありますが、それもまた山歩きの面白さです。
大平良山の標識 大平良山頂上の三角点
ひたすら山の中を歩いていると、前方の木の幹に何やら赤いものが見えました。
近づいてみると、それは「大平良山」と手書きされた標識で、近くには大平良山の三角点もあります。
ただあたりは真っ平らで、これといって城郭跡らしき遺構は見当たりません。
まっとうな砦を築くには、山の形があまりにもなだらか過ぎたのでしょう。
スギの植林地帯を下って
右側の植林地帯へ すこし急な下り坂 ひたすら続く下り坂
さて大平良山からは右(北)の方へ曲がって、スギの植林地帯の中を下っていきました。
初めのうちだけすこし急勾配ですが、あとは緩やかな尾根筋が延々と続きます。

尾根筋がゆるやかな上り坂に転じると、ど真ん中にかなりの樹齢がありそうな巨木が生えていました。
近くに若いブナの木が生えているので、たぶんブナの木だと思われます。
火の用心 ふたたび下り坂 権現峠に石灯籠
その先で丘を越えると、尾根筋はふたたび下り坂に。
そのままなだらかな坂道を下っていくと、坂の下に石灯籠が一基、現れました。
戦国武将も越えた、権現峠
権現峠(左)塩津方面 権現峠(中) 権現峠(右)余呉方面
石灯籠があったのは、権現峠(ごんげん とうげ)とよばれる場所でした。
左(西)は塩津方面、右(東)は余呉方面、北の方へ尾根筋をたどれば行市山にも行けるようです。

石灯籠の奥を見ると、建物が何もない四角い空き地がありました。
かつては名前の由来になった、権現様の祠(ほこら)があったのだと思われます。
余呉方面へ 倒木の下をくぐって 眼下に舗装道路
権現峠からはしばらくの間、余呉方面に下りていきます。
曲がりくねった山道を歩いていると、いつの間にか眼下を舗装道路が走っていました。
お地蔵さんで一旦、舗装道路へ
地蔵の分かれ道(左)舗装道路 地蔵の分かれ道(右)ふもと
ということで、コンクリート製の四角い祠に祀(まつ)られたお地蔵さんの前に着きました。
左へ上がれば舗装道路に、そのまま下っていけば余呉方面に行けるようです。
舗装道路を通って 尾根の上へ ふたたび尾根筋
尾根筋の続きを歩くため、お地蔵さんの前を横切って、一旦舗装道路に出てみます。
すこし先に進むと、尾根の上へと続く坂道が見つかりました。
坂道を登ってふたたび尾根筋に戻ると、スギの木立の中を、山道が奥の方へ続いていました。
さらに余呉湖西側の尾根筋を歩いていきます。
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