【滋賀】賤ヶ岳山頂から大平良山を経由して堂木山砦跡へ その4 (茂山砦と神明山砦出丸篇)

城郭めぐり
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滋賀県長浜市木之本町(ながはまし きのもとちょう)には、賤ヶ岳(しずがたけ)があります。
かつて賤ヶ岳一帯では、賤ヶ岳の戦いがありました。

賤ヶ岳の戦いとは、織田信長(おだ のぶなが)亡きあとの後継者をめぐる争いから発展した戦い。
羽柴秀吉(はしば ひでよし)と柴田勝家(しばた かついえ)が戦った。

賤ヶ岳の北側にある余呉湖あたりにはよく来るのですが、余呉湖の西側の尾根筋をまだ歩いていません。
ということで、賤ヶ岳から大平良山(おおひらやま)を経由して堂木山(どうぎやま)まで歩いてきました。

賤ヶ岳周辺案内図
賤ヶ岳周辺案内図

尾根筋を登って、大平良山頂上にたどり着いたあとは、スギの植林地帯を下って、さらに権現峠から余呉方面に下り、舗装道路と並行する尾根筋を歩き始めました。

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茂山砦の遺構を探しながら

しばらくすると尾根筋は、舗装道路から離れて緩やかに登っていきます。
雑木林と植林地帯の中を交互に歩いていると、地面に砦の遺構らしき場所を見つけました。

まず最初に見つけたのは、塹壕(ざんごう)と土塁らしき場所の組み合わせです。
山頂への上り坂の途中には、もう一つ塹壕らしき跡を見つけました。

ということで、こんもりとした茂山頂上に着きました。
賤ヶ岳の戦いのときには、前田利家茂山砦があったらしいのですが、解説板などは見当たりません。

茂山の頂上をウロウロ歩く

分かれ道(左)神明山砦(右)茂山砦曲輪群

さて茂山頂上の曲輪の中を歩いていくと、奥で道が二手に分かれていました。
左へ進む道が正しそうなのですが、右へ進む道も地面に歩いた跡がはっきりと残っています。

分かれ道に立つ男性

念のため右の道もすこしだけ歩いてみましたが、そのまま坂道を下りていく気にはなりません。
今回は寄り道はせず、そのまま尾根筋を東の方へ進むことにしました。

茂山砦は南東の方へ下っていく尾根筋に、曲輪群が造られているようです。

砦跡だからなのか、茂山頂上からは急な下り坂が始まります。
その先には砦の一部だったのか、細長い尾根筋が続いていました。

行き止まりから右へ、坂道を急降下

さてしばらくは、鬱蒼(うっそう)とした森の中を歩こことになります。
壊れたまま放置されたアンテナを横目に、さらに進んでいくと、正面がヤブになって進みにくくなりました。

踏み跡が何となく右下の方へ行っているのですが、落ち葉が多くて、進むべきなのか迷ってしまいます。
それでも意を決して下りていくと、地面が顕(あらわ)になった下り坂が現れました。

生まれたての子鹿

ただその坂道の勾配が急すぎるので、なかなか下りていけません。
一般的には階段が設置されているレベルの斜面なので、滑らないようにするのが大変でした。

かつて存在したつづら折りの坂道の痕跡が、傍らに残っています。

神明山砦の出丸

急すぎる坂道を下ってきたばかりですが、ふたたび斜面を登っていきます。
すると丘のてっぺんに、神明山砦の解説板が設置されていました。

神明山砦平面図
神明山砦平面図

案内板を見るとこの場所は、神明山砦のポツンと離れた出丸のようです。
主要部分はさらにこの先へ、しばらく進んだところにあるようでした。

とりあえず出丸に上がってみることに。
平らなだけで大した特徴がなかったので、すぐに下りてきてしまいました。

さらに余呉湖西側の尾根筋を歩いていきます。

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