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【滋賀】賤ヶ岳山頂から大平良山を経由して堂木山砦跡へ その5 (神明山砦の主要部分篇)

城郭めぐり
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滋賀県長浜市木之本町(ながはまし きのもとちょう)には、賤ヶ岳(しずがたけ)があります。
かつて賤ヶ岳一帯では、賤ヶ岳の戦いがありました。

賤ヶ岳の戦いとは、織田信長(おだ のぶなが)亡きあとの後継者をめぐる争いから発展した戦い。
羽柴秀吉(はしば ひでよし)と柴田勝家(しばた かついえ)が戦った。

賤ヶ岳の北側にある余呉湖あたりにはよく来るのですが、余呉湖の西側の尾根筋をまだ歩いていません。
ということで、賤ヶ岳から大平良山(おおひらやま)を経由して堂木山(どうぎやま)まで歩いてきました。

賤ヶ岳周辺案内図
賤ヶ岳周辺案内図

茂山砦の遺構を探しながら、茂山頂上まで登ったあとは、なだらかな道から続く急坂を下りて、神明山砦の出丸まで登ってきました。

神明山砦の主要部分へ

神明山砦平面図
神明山砦平面図

ようやく神明山砦に着いたと思ったら、まだ砦の西端の出丸でした。
解説板によると、砦の主要部分はもうすこし先なので、さらに歩いていくことに。

さて出丸から歩き始めると、すぐに堀切跡を渡ることになりました。
現在はほとんど土砂で埋まっていますが、かつてはもっと深かったと思われます。

そこからしばらくは、緩やかな坂道を登っていきました。
道が平らになると、前方にまたもや堀切が現れます。

ふたつの土塁を越えて

ところが今度は単なる堀切ではなく、その向こう側には大きな土塁が盛り上がっていました。
左側に通り道が出来ているので、そこを無難に越えて行きます。

すると砦の守りが余ほど堅いようで、またもや堀切とセットで土塁が盛り上がっていました。
ひとつ目の土塁以上に盛り上がっているので、今度は右側の低くなっているところを越えることに。

主郭西側の曲輪
主郭西側の曲輪

ふたつの土塁を越えると、ようやく広めの曲輪に出られました。
ただ雑木林の奥には、大きな土塁が垣間見えるので、まだ安心していられません。

神明山砦主郭の土塁が山頂

広めの曲輪の中を奥へ進むと、主郭のまわりを囲んでいる土塁の前に着きました。
左(北)側に通り道がありますが、折角なので土塁の正面から登ってみることに。

土塁の上に登ると正面の木に、「神明山」と書かれた朱色の標識が、打ち付けられていました。
足元を見ると三角点もあるので、この場所が神明山の頂上のようです。

とりあえず土塁の上を反時計回りに歩いて、主郭の中に下りてみましたが、目ぼしいものは見当たりません。
仕方がないので東の方へ歩いていき、土塁を越えて主郭の外へ出ました。

段々になった斜面を下って

神明山砦主郭の東側には、西側と同様に、土塁がいくつか築かれています。
それらを越えていくと、あたりはようやく段々畑のような斜面になりました。

あまり防御的ではないので、兵士たちが平時、生活していた場所だと思われます。
なお一番外側には、それらを囲むように土塁が巡らされていました。

さらに余呉湖西側の尾根筋を歩いていきます。

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