昨日(2019.07.06)、滋賀県長浜市木之本町(ながはまし きのもとちょう)にある賤ヶ岳のふもとを走っていたら、「賤ヶ岳リフト」と書かれた真っ赤な幟(のぼり)を見付けました。
賤ヶ岳リフトが昨日から再開したようなので、早速本日(2019.07.07)乗りに行くことに。
山頂駅に着いたら、以前から行きたかった山本山まで、尾根道を伝って歩いてきました。

松尾寺の近くにあるという磯野山城址への分岐点から、古保利古墳群の西野山古墳の横を通って、西野集落と阿曽津千軒集落跡をつなぐ尾根越えの道(通称、海老越し)まで来ました。
ようやく古保利古墳群の説明が
- ヘソ岩古墳らしき小山
- 小松古墳(古保利古墳群B-6号墳)
- 坂の下に何かの看板が
海老越しを通り過ぎると、つぎは山頂に小松古墳が横たわる比較的低めの山を越えました。
尾根筋を通る道沿いには、いくつかの古墳らしきものも見られますが、それらのすべてに説明板が設置されている訳ではないようです。
坂道を下っていくと、古保利古墳群(こほり こふんぐん)に関する説明板がありました。
そこには点在する古墳群の分布図が載っており、如何に多くの古墳が造られたかが判ります。現在、判っているだけでも 132基の古墳があるそうです。
木戸港跡への尾根越えの道

分岐点(左)西野水道(奥)山本山(右)木戸港跡
ほどなく西野集落と木戸港跡をつなぐ尾根越えの道に差し掛かりました。
他の山越え道と同じように尾根が切られており、きつい峠が越えやすくなっています。
むかしは漁業だけでなく、琵琶湖を舟で渡って物資を運ぶ水運業も盛んでした。
湖北の塩津港や湖南の堅田・大津港が有名ですが、それ以外にも琵琶湖の沿岸には大小さまざまな港があって、木戸港もそのひとつだったようです。
- 山越えのあとの上り坂
- たぶん西山古墳(C-10号墳)
- 大浦古墳(古保利古墳群C-16号墳)
さらに山本山方面に歩きだすと、古墳らしき小山をいくつも見掛けました。
西野集落を水害から守った西野水道

西野水道はこの下
さて賤ヶ岳山本山歩道を歩いていると、「西野水道」の真上に来ました。
西野水道とは、余呉川の氾濫で西野集落に溜まってしまった水を、琵琶湖へ排水するため、西側の山に掘られた隧道(ずいどう、英トンネル)です。
曲がりくねった河川は、大雨が降って増水したときに、曲がったところから水が溢れ出ます。
旧古保利村のあたりは、余呉川が曲がっているため、大雨が降るたびに氾濫したそうです。
特に西野集落は窪地なので、湖のように水が溜まってしまい、甚大な被害をもたらしました。
それを憂えた充満寺の住職、西野恵荘(にしの えしょう)が提案したのが「西野水道」です。
完成までには 5年の年月と莫大な費用が掛かりましたが、何とか完成にこぎ着けました。
現在の余呉川は付け替えられて、三代目の西野水道を通り琵琶湖へ流れています。

さらに賤ヶ岳山本山歩道を歩きます。

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