国道307号線で、滋賀県犬上郡甲良町(いぬがみぐん こうらちょう)のあたりを走っていたら、勝楽寺(しょうらくじ)の案内板に「佐々木道誉(ささきどうよ)ゆかりの寺」の文字を見付けました。
Google Map(グーグル・マップ)でお寺のあたりを見たら、裏山には勝楽寺城跡もあるようです。
ということで勝楽寺を訪れて、ついでに裏山の正楽寺山(しょうらくじやま)にも登ってきました。

正楽寺山の狐塚からさらに山道を登って、尾根筋を勝楽寺城跡へ歩いていき、主郭の石垣跡を見たり、尾根筋の斜面に設けられた畝状竪堀群を探したりしました。
鬱蒼とした森になった、見張り台

勝楽寺城主郭跡からさらに尾根筋を進んで、見張り台跡に向かうことにしました。
主郭跡から北側斜面を下り始めると案の定、石垣跡が遺(のこ)っているので、避けて歩きます。
見張り台(左) 見張り台(中) 見張り台(右)
さて主郭から見張り台までは案外、早く着きました。
けっこう広い曲輪跡なので、当時は見張り番が詰める建物もあったのでしょう。
佐々木六角氏の観音寺城がある繖山(きぬがさやま)や重臣の城、主要な幹線道も見渡せたようです。
ただ現在は樹木が鬱蒼(うっそう)としているため、周辺の様子はほとんど見えません。
見張り台のその先へ
見張り台の先へ 急勾配の下り坂 道をふさぐ倒木
見張り台は行き止まりではなく、有事の際にふもとの方へ駆け下りていく場所です。
きっと見張り台の先も、道が続いているはずです。
見張り台の奥へ行ってみると、急勾配の坂道が下の方へ続いていました。
草刈りなどはされているようで、難なく歩いていけます。
曲輪跡 山道は左へ ふもとへの道
ということで、曲輪跡らしき広場に出ました。
さらに進んでみましたが、山道はふもとへ下りていくだけだったので、戻ることにしました。
上臈落としの手前にも畝状竪堀群
分岐点から上ろう落としへ 上ろう落としまでもう少し ここで一旦下る
来た道を引き返して、尾根筋の分岐点まで戻ってきました。
今度は尾根筋を、上臈落とし(じょうろう おとし)の方へ向かうことにします。

尾根筋を歩いている途中で、ふと勝楽寺側の斜面を見ると、ここにも畝状竪堀群(うねじょう たてぼりぐん)がありました。
勝楽寺城跡として紹介されているのは、主郭と見張り台ぐらいです。
しかし、正楽寺山の至るところに、勝楽寺城跡の遺構が遺っているようです。
見晴らしの良い、上臈落とし
上臈落としへの上り坂 上臈落とし
尾根筋の坂道を登りきると、ようやく上臈おとしに着きました。
あまり広くない曲輪跡のようで、地面からはすこしばかり岩が露出しています。
上臈落としは、戦国時代に武将が妻子と今生の別れをした場所だ、と言い伝えられています。
いよいよ勝楽寺城が危ないとなったときに、ここから妻子を尾根伝いに逃したのでしょう。
上臈とは、年功を積んだ官位や身分の高い人のこと。
ここでは、身分の高い人の妻のことを「上臈」とよんでいるようです。
落としとは、敵の危機からこっそりと逃げ去らせること。
自動詞と他動詞の違いはありますが、「落ち武者」「落ち延びる」も同じ使い方です。

ちなみに上臈落としは、見晴らしの良い場所になっています。
相変わらず荒神山と琵琶湖しか見えませんが、主要な幹線道を見張ったりもできます。
つぎは上臈落としの道をたどってみます。
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