滋賀県米原市(まいばらし)と岐阜県不破郡関ケ原町(ふわぐん せきがはらちょう)の県境には、長比砦跡(たけくらべ とりであと)と須川山砦跡(すがわやま とりであと)の 2つの砦跡があります。
一度も登ったことがなかったので、長比砦跡がどんなところなのか登ってきました。
ついでに近くにある須川山砦跡にも行ってきました。
ここでは「長比砦跡」で表記を統一しています。
ただ案内板や石碑などで「長比城跡」と表記されていることがあります。

長比砦跡の西曲輪の西側にある竪堀から尾根筋をたどって、須川山砦跡を見たあとは、ふもとの須川集落まで下りてきました。
須川集落の中を通って

さて須川集落まで下りて来られれば、あとはほぼ迷うことはありません。
山のふもとの道を南の方へ向かって、適当に歩いていきました。
須川公民館のあたりまで来ると旧道に出たので、そのまま旧道を駐車場まで戻ることにしました。
昭和初期に新道(県道551号線)が出来るまでは、主要道として使われていたようです。
道なりに歩いていると新道に出てしまうので、工場の手前で山の方へ曲がりました。
森の中の旧道を歩いて
墓地までは舗装道路 獣害防止柵から奥は未舗装 左の道へ 途中に獣害防止柵 まだ森の中 舗装道路に
旧道を歩いていると須川集落が終わり、鬱蒼(うっそう)とした森の中に入っていきます。
墓地の前を通り抜けると獣害防止柵が設置されており、そこから先は道が未舗装になっていました。
久しぶりに歩いたのですが、子どもの頃とは違って、あまり轍(わだち)が残っていません。
たぶん獣害防止柵があるせいで、自動車が通らなくなってしまったのでしょう。
ひたすら森の中を歩いていると、ようやく舗装道路に出ました。
いろんな伝説が残る、白清水

舗装道路を南へ歩いていると、「白清水(しらしょうず)」と名付けられた湧き水がありました。
むかしは主要道の脇にあったので、多くの旅人の喉を潤したことでしょう。

この湧き水には、次のような伝説があるそうです。
- 伝説「小栗判官と照手姫」の照手姫が、おしろい(白粉)を落として以来、清水が白く濁った。
- 日本武尊が伊吹山の荒神を退治に行って返り討ちにあい、清水のお陰で正気を取り戻した。
ただ似たような伝説は各地に残っているので、本当の話なのかどうかは判りません。
道のほうの旧東山道

白清水から歩いてくると、獣害防止柵で塞(ふさ)がれた道がありました。
草があまり生えていないので、定期的に草刈りされているようです。
旧東山道の石碑 橋を渡って 行き止まり
何も案内が無いので、神明神社の入り口まで歩いてくると、「旧東山道」と刻まれた石碑がありました。
念のために奥まで歩いてみると、先ほど見たのは旧東山道だったようです。
これまでずっと、旧東山道はそのまま旧中山道に名称を変えただけだと思っていましたが、微妙に違うところもあるようです。

ということで、神明神社の横の道を登って、野瀬山の駐車場に戻りました。
あとがき
長比砦跡と須川山砦跡の 2つの砦跡を歩いてみました。
長比砦跡は登山道が整備されており、至るところに案内板があって、たいへん登りやすかったです。
急な斜面は勾配が緩やかになるように、つづら折りの道にしてありました。
須川山砦跡は登山道が整備されておらず、どこにも案内板がありません。
一応、須川山砦跡を示す石碑はありますが、ただそれだけでした。

ちなみに長比砦跡は、織田信長が「姉川の戦い」のときに、最初に陣を張った砦だそうです。
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