竹中半兵衛は戦国時代の武将で、織田信長と豊臣秀吉に軍師として仕えました。
大河ドラマになった黒田官兵衛とともに、2人合わせて「両兵衛(りょうべえ)」や「二兵衛(にへえ)」と称されるほど、活躍した人です。
竹中半兵衛は、岐阜県垂井町(たるいちょう)にある菩提山城を拠点としていました。
彼が亡くなった後に、その嫡男がお城を廃して、ふもとに構えたのが竹中氏陣屋です。
以前から、県道53号線を通るたびに気になっていたので、彼岸花が咲く頃にちょっと寄ってきました。
竹中氏陣屋跡へ
竹中氏陣屋跡へは、関ヶ原バイパス(国道21号線)の丁字路「野上西」から県道53号線に入り、交差点「長畑」を北へ左折して集落の中を通る県道257号線を進みます。
すると左側に巨大な石垣と櫓門(やぐらもん)が見えてきます。
ボクが行ったときは、のぼり旗がたくさん立てられていましたので、すぐに判りました。

垂井町岩手の観光駐車場
さらに進むと右側に無料の観光駐車場があります。
今回は登りませんが、竹中半兵衛の居城だった菩提山城跡に登るときにも、便利だと思われます。
竹中氏陣屋跡の櫓門

竹中氏陣屋跡の櫓門
さて通ってきた道を戻って、竹中氏陣屋跡へ向かいました。
竹中陣屋跡の入り口には大きな櫓門があり、敷地の周囲は高い石垣で囲まれていたようです。

竹中半兵衛の像
櫓門の前には、有名な竹中半兵衛の像と顔出しパネルが設置されていました。
ただ竹中氏陣屋を建てたのはその嫡男の重門で、竹中半兵衛が亡くなった後の話です。
櫓門を潜(くぐ)ってみると、そこには岩手幼稚園の建物が建っていました。
そこから先は私有地になっているので、無許可では入れないようです。
現在、当時の姿を残しているのは櫓門と、周囲を囲む石垣と堀の一部だけのようでした。
石段を登って石垣の上へ

櫓門への階段
仕方がないので引き返そうとすると、石垣に石段が付いていました。
通行止めにはなっていないので、物は試しと登ってみました。

石垣の上から
櫓門の上にある櫓の戸には鍵が掛かっているため入れませんが、石垣の上には登れました。
石垣の上は広く平らになっていて、登って来る敵を撃退しやすくなっています。
結構、石垣は高いので見晴らしがよかったです。
まるい玄関屋根の菁莪記念館

菁莪記念館
さて県道257号線をさらに南へ歩いていくと、菁莪(せいが)記念館があります。
「菁莪」とは、古代中国の詩篇「詩経」の中から引用された言葉で、人材を育成することを意味します。
竹中氏陣屋の中にあった道場「青莪堂」に端を発し、途中「青莪義校」などを経て、現在の岩手小学校へと移り変わってきました。
なお菁莪記念館は、岩手小学校が建てられたときに、それを記念して建てられました。
中には郷土の歴史が詰まっています。
郷土岩手の歴史を展示
- 玄関の土間
- 館内の左
- 館内の右
菁莪記念館の中は無料で見学できます。
一番奥には鎧兜(よろいかぶと)や陣羽織などが並び、手前の陳列ケースの中には古文書やジオラマで復元された「竹中氏陣屋」などが展示されています。
ただ展示品それぞれについての説明書きが、ほとんど無いのでよく判りませんでした。
ちなみに壁際の上方には、竹中半兵衛などについての説明パネルが吊り下げられています。
それらを読めば、岩手地区と竹中氏の歴史がある程度判ります。
宝塚のスターも訪問

宝塚スターの色紙など
入り口の横にある壁には、宝塚歌劇団の方の色紙や新聞記事などが貼られていました。
宝塚歌劇団で、竹中半兵衛を主人公にしたミュージカルが公演されたようです。
公演の成功を祈願しに来たのでしょう、星組と宙組の女優さんの名前があります。
宝塚歌劇団出身の女優さんは何人か知っていますが、在団中の方はまったく知りません。
でも、同じところを訪れていることを知ると、すこしだけ親近感が湧きます。
あとがき
昔から竹中半兵衛が垂井町に関係があることは、何となく知っていました。
しかし、あまり詳しいことは知りません。
大河ドラマ「軍師官兵衛」の中で、俳優の谷原章介さんが竹中半兵衛役を演じていて、軍配を黒田官兵衛に託したことぐらいです。
いつか竹中半兵衛を主人公にした時代劇の中で、その歴史を描いてくれれば見やすいのですけどね。

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