福井県小浜市(おばまし)には、天ヶ城跡(てんがじょうあと)があります。
以前、何気なしに小浜市羽賀(はが)にある羽賀寺(はがじ)を訪れたとき、その登山口を見つけました。
ということで、雨上がりの天ヶ城跡に登ってきました。
羽賀寺への道すがら雨が降っていたので、どうなるかと思いましたが、濡れずに行ってこられました。

天ヶ城跡の南端から、「大広間」とよばれるような広い曲輪跡の中を歩いて、櫓台のような高台を備える主郭跡に着きました。
天ヶ城山頂上から東の尾根筋へ
さて天ヶ城山頂上から、甲ヶ崎、福谷方面へ下りるのは止めましたが、来た道を戻るのは面白くありません。
出来れば別の道を通って、羽賀寺まで戻りたいところです。
天ヶ城山頂上から東へ しっかりと遺っている堀切
何も案内はありませんでしたが、山頂から東側を見ると歩いた跡があったので、下りていくことに。
すると、尾根の一部がごっそりと削り取られた堀切が遺(のこ)っていました。
堀切の底へ 堀切の底から向こう側を見て
年月を経て斜面が緩やかになっていますが、それでも堀切の底へ下りるのは大変です。
堀切の底には土砂が堆積していましたが、向こう側の尾根を見ると、まだかなりの高低差がありました。
尾根筋の途中には、ブナの巨木
堀切を登ったところ 歩きやすい尾根筋 曲輪跡らしき場所
堀切を何とか登ったら、さらに尾根筋を歩いていきました。
たまには倒木も横たわっていますが、しっかりと道が整備されているので、歩きやすくなっています。

しばらく尾根筋を登ったり下りたりしていると、目の前に巨大なブナの木が現れました。
太い幹が細い尾根筋いっぱいに育っているので、通り抜けるのが大変そうです。
ただよく見ると幹の右側が、ひと一人が通れるぐらい空いています。
根っこを踏まないように気を付けながら、ブナの木の向こう側へ通り抜けました。
萌芽更新(ほうがこうしん)しているので、木の幹が根元から何本かに枝分かれしています。
弘法大師の突き刺した杖や箸が大木になった、などという伝説は残っていないようです。
斜面を下りて砂防ダムへ
尾根の分岐点(左) 尾根の分岐点(右)
さてもうそろそろ下山したいので、羽賀寺の方(右側)へ下りられる道を探しながら歩いていきます。
すると上り坂のてっぺんで、右下へ下っていく尾根筋がありました。
奈胡集落への尾根筋 下りるのに苦労する急斜面
整備された尾根筋が歩きやすいのですが、早く下山したいので、右側の尾根筋を下りていくことに。
下りていくにつれて斜面が急勾配になっていくので、途中でかなり後悔しました。

それでも道を探しながら下りていくと、何とか谷あいを通って砂防ダムに出られました。
砂防ダムからは整備された道を歩いていけるはずです。
砂防ダムから羽賀寺へ
天ヶ城川砂防ダムの上(左) 天ヶ城川砂防ダムの上(左)
ということで砂防ダムの上から続く、なだらかなコンクリート道路を下りていきます。
歩きつく先には、舗装された道路が見えました。
天ヶ城川砂防ダムから見える道路は、天ヶ城トンネルの南口から伸びている道路です。
天ヶ城トンネル 砂防ダムの出入り口
なお天ヶ城川砂防ダムは「関係者以外立入禁止」なので、出入り口にはネットが張られています。
ただネットの片方が留められていなかったので、そこから外に出ました。
天ヶ城山から下山してくる人のために、ネットが少しはずしてあると思われます。
道路に沿って東の方へ歩いていくと、姫宮神社の前を通ります。
あとは適当に田園地帯の中を歩いて、羽賀寺まで戻りました。
天ヶ城山から東の方へ伸びる尾根筋は、奈胡集落を取り巻くように丸くなっています。
もしかすると、その尾根筋を歩いた方が楽に下りられたかも知れません。
あとがき
今回は天ヶ城山に登って、天ヶ城跡を歩いてみました。
ただあとで調べてみると天ヶ城跡はもっと広くて、まだ半分ぐらいしか歩けていないようです。
それでは悔しいので、いつの日か残りの半分も歩いてみたいと思います。
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