昨日(2019年04月07日)、滋賀県長浜市(ながはまし)でごはんを食べた帰り道に、たまたま乙姫農免道路を通って、米原市清滝(まいばらし きよたき)を通ったときのことです。
清滝の広場に生えている桜が満開だったので、久しぶりに徳源院の桜を見に行くことに。
清滝寺徳源院の境内で、2代目と 3代目の道誉ざくらを見たあとは、お寺の中に入って、池泉回遊式庭園と本堂、位牌堂を見てきました。

お寺を復興したときに建てた三重の塔

三重の塔
さて清滝寺徳源院の境内の隅には堀が巡らされ、その中に三重の塔が建っています。
佐々木家の分家である京極家21代目の高和(たかかず)が、讃岐国の丸亀藩に移動させられると、京極家初代の氏信(うじのぶ)が建てた清滝寺は廃(すた)れてしまいます。
それを憂えた京極家22代目の高豊(たかとよ)が、領地の一部とこの地を交換して、お寺の復興を図り、そのとき新たに建てたのが三重の塔です。
実際のところ三重の塔についての記録は残ってないそうです。
ただその建築様式や手法、木材の風化具合などから、高豊が建てたと考えられています。
京極家の墓所
- 位牌堂の角を曲がると
- 京極家墓所の入り口
- 京極家墓所の配置図
京極家の墓所はお寺の左手奥にあり、位牌堂の角を曲がってさらに奥へ進むとあります。
讃岐国の丸亀藩主であった京極家22代目の高豊が、清滝寺を復興したときに、近隣に散在していた墓石をここに集めて、順序よく並べてお祀りし直しました。
墓所は上下 2段に分かれています。
奥の上段には初代氏信から 18代目高吉(たかよし)までの、下段には中興の祖である 19代目高次(たかつぐ)以降の歴代当主と分家の墓石が並んでいます。
ただ墓所の中には入りませんでしたけどね。
観音山に向かう途中にも

徳源院から観音山へ
西国三十三ヶ所観世音石仏霊場へは一旦、徳源院の外へ出て右(南)に曲がり、橋を渡ります。
- 観音山への案内板
- 北参道
- 京極家の墓所
案内板に従って川沿いの北参道を上っていくと、遠くからですが京極家の墓所の下段の様子を見られました。
墓所の上段は、さらに階段を登った先の森の中にあるようです。

能仁寺遺跡
川沿いの坂道を上ったところには、能仁寺(のうにんじ)遺跡がありました。
能仁寺は、かつて京極家7代目の高詮(たかのり)の菩提寺だったところです。
以前、発掘調査が行われたようですが、現在は保存のために埋め戻されてしまいました。
西国三十三ヶ所観世音石仏霊場
能仁寺遺跡の手前に山道が付いていたので、そこから観音山に上っていきます。
最近はどこの山に行っても、害獣防止のための柵が設けられています。
柵を開けて入ると、西国三十三ヶ所観世音石仏霊場が広がっていました。
この霊場では縦長の広場があって、その縁沿いに観音様の石仏が立ててあります。
一番てっぺんには、真言宗の開祖である弘法大師空海の石像が祀ってありました。
ウチの地元にも観音山があるのですが、どこでもこのような施設を作るものなのですね。
つぎは米原市清滝(まいばらし きよたき)の中を少し歩きます。

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