昨日(2019年04月07日)、滋賀県長浜市(ながはまし)でごはんを食べた帰り道に、たまたま乙姫農免道路を通って、米原市清滝(まいばらし きよたき)を通ったときのことです。
清滝の広場に生えている桜が満開だったので、久しぶりに徳源院の桜を見に行くことに。
清滝寺徳源院の境内の隅で、周囲に堀が巡らされた三重の塔を見たあとはお寺の外に出て、すぐ南隣の観音山の霊場を見てきました。

苔の道を散策して
- 徳源院の塀の前
- トイレの横から
- 川に沿って
さてふたたび、清滝寺徳源院の近くまで戻ってきました。
同じ道を駐車場まで戻るのもつまらないので、お寺の前にあった清滝史跡散策マップを参考に、トイレの横から続く「苔の道」を歩くことにします。
苔がどこに生えているのか探しながら歩いたのですがさっぱり判りません。
もしかすると川を整備したときに、苔が無くなってしまったのかも知れません。

石堂寺の石塔群
さて「苔の道」を歩き終えて舗装道に出ると、すぐ右(南)側に 1体の石仏とおびただしい数の小さな五輪塔が現れました。
もしかするとこちらも、観音山なのかも知れません。
石堂寺は、裏山のみどりに映える桜

石堂寺の門前
そのまま舗装道を歩いていくと、天台宗のお寺である石堂寺がありました。
清滝寺徳源院の道誉ざくら(枝垂れ桜)は有名なので、たくさんの人が参拝していましたが、こちらは物静かな雰囲気です。
桜の木はあまり主張していませんが、裏山のみどり色に紅梅やさくら色が映えています。
まるで桜もちのようなコントラストになっていて美しさを感じました。
放生池のお堂
石堂寺の舗装路をはさんだ向かい側には、放生池があります。
その池の中には石垣で島が造られ、そこにシャチホコが付いたお堂が建っていました。
このあたりは至るところに桜の木が植えられていて、花見をするには最適です。
ところが地元の人には当たり前のようで、誰も見に来ていません。
ちなみに奥に見える丸山のふもとには、鎌倉時代末期の公卿、北畠具行(きたばたけ ともゆき)のお墓があります。
彼は倒幕計画の中心人物の一人だったので、幕府軍に捕らえられ、鎌倉へ護送される途中に、幕府の命令により、この地で処刑されたそうです。
大門跡と鐘楼跡
さて駐車場に戻るため、石堂寺の門前の舗装路を北に歩いて、交差点で左(西)に曲がると、神社の幟(のぼり)ポールの近くにある、石垣の土台の上に鐘つき堂が建っていました。
ちょっとお寺の建物を探してみたのですが、隣に建っているのは民家だけです。
実はこのあたりに、清滝寺が栄えていた当時の大門と鐘楼があったようです。
以前は土台だけだったようですが、鐘つき堂で鐘楼跡を表したようです。
あとがき
今まで清滝寺徳源院は、桜の花を見に行く場所だとばかり思っていました。
しかしその客殿から眺める秋の庭園は、紅葉が見事だそうです。
紅葉の時期になったら、また来たいと思います。
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