以前から気になっていた、滋賀県長浜市中野町(ながはまし なかのちょう)の虎御前山(とらごぜんやま)を南から北へ縦断してきました。
普段たまに虎御前山の北側を東西に横切る県道265号線を通るのですが、虎御前山の登り口を見掛けるたびに一度登ってみたいと考えていたのです。
駐車場がどこにあるのかと探していたら、ようやく虎御前山の南の端に見付けました。
虎御前山公園の駐車場へ
虎御前山公園の駐車場は、住宅が密集した集落の東の端にあります。
ということで、幅が広くて走りやすい道路が整備されている県道510号線から行きました。
県道510号線を走っていると案内標識が出ているので、その交差点で西に曲がり、田園風景の中をひたすら西へ進んでいきます。

虎姫山公園の駐車場
虎姫時遊館を通り過ぎたところで右折して橋を渡り、まっすぐに進んでいくと、正面に駐車場があったので、そこに自動車を停めました。
矢合神社の参道を歩いて

矢合神社の入り口
虎御前山公園へは、左右どちらの道を歩いても行けそうですが、アスファルトの林道だと味気ないので、矢合神社(やわい じんじゃ)の参道を登っていきます。
- 矢合神社の石柱
- 分岐点(左)矢合神社(右)虎御前山教育キャンプ場
- 藤棚のトンネル
矢合神社の参道は最近きれいにされたばかりようで、大変歩きやすくなっていました。
立派な石の鳥居をくぐると、道は二手に分かれています。
どちらに行っても良さそうですが、右の道を進んで藤棚のトンネルをくぐり抜けてみました。
鬱蒼とした木が生い茂る陣地跡
- あずま屋
- 多賀貞能陣地跡
さて藤棚のトンネルを抜けて坂道を登ってくると、新しめのあずま屋がありました。
休憩するのには良さそうですが、周囲は木に囲まれているので、景色は良くありません。
その奥には、多賀貞能(たが さだよし)陣地跡がありました。
1573年の小谷城の戦いのときに、織田信長軍として参戦したときの陣地跡だそうです。
とりあえず陣地跡に踏み入ってみましたが、あたりはすっかり樹木に覆われてしまい、よく判りませんでした。
一本松古墳には、マツがいくつも
- 一本松古墳登り口
- 一本松古墳てっぺん
- 一本松古墳から下へ
その奥には、一本松古墳とよばれる土盛りがありました。
何か知らなかったのですが、朽ちた階段があったので、ちょっと登ってみることに。
一本松古墳とよばれていますが、現在は何本ものマツが生えているようです。
長年の間にマツのタネが落ちて、増えてしまったのかも知れません。
あたりを見回してみましたが、特に名前の立て札も解説板もありませんでした。
結局、矢合神社の社殿の前へ

矢合神社
参道とは違う道を歩いてきましたが結局、矢合神社の社殿の前まで来てしまいました。
不思議なことに境内には、鐘つき堂があります。
そもそも奈良時代には、大嶽寺(おおづくじ)十ヶ寺の一つとして八相山成道寺(はっそうざん じょうどうじ)というお寺があったそうです。
悟りを開いたとされる第六相「成道」を中心とする。
平安時代の法令集「延喜式(えんぎしき)」には、近江国浅井郡八相山に八相社(はっそうしゃ)の存在したことが確認されています。
江戸時代初期までは弓で矢を射って的に当てる神事があったので、「八相」の訓読みである「やあい」に「矢合」の漢字が当てられるようになり、「矢合神社」になったとのことです。
さらに虎御前山を歩きます。

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