以前から気になっていた、滋賀県長浜市中野町(ながはまし なかのちょう)の虎御前山(とらごぜんやま)を南から北へ縦断してきました。
虎御前山の北側を通るたびに虎御前山の登り口を見掛けては、一度登ってみたいと考えていたのですが、ようやく虎御前山の南の端に駐車場を見付けられました。


虎御前山案内図
虎御前山展望台から歩き始めて、近江四国八十八ヶ所霊場の岩屋寺を訪れたあとは、虎御前山公園の丹羽長秀陣地跡を見て、信長馬場古墳跡を見ながら NTT鉄塔を目指しました。
虎御前山城跡のはじまり

虎御前山城跡の入り口
さて NTT鉄塔までたどり着くと、その近くには虎御前山城跡の立て札がありました。
丸太を組み合わせて作られた、かわいい人形も立っています。
このあたりからは、本格的にデコボコした山城の遺構が始まるようです。
その後ろには、滝川一益陣地跡の石碑も立てられていました。
その奥に見える雑木林が、広々としていて何か有りそうなので、見に行ってきました。
雑木林になった、滝川一益陣地跡
- 滝川一益陣地跡(左)
- 滝川一益陣地跡(中央)
- 滝川一益陣地跡(右)
滝川一益陣地跡はかなり広いので、きっと多くの兵士が駐留できたことでしょう。
陣跡の処どころには、古墳らしい盛土がいくつか見られました。
あたりを見回していたら、地面に薄っすらと人の歩いた跡が付いているのを見付けました。
左奥の古墳の上へと続いているので、ちょっと見てくることに。

虎御前山の頂上?
古墳のてっぺんに上がると、誰が間違えたのか標高?を示す札がありました。
本当の虎御前山の頂上に向かうため、先を急ぎます。
復元された礎石建物
- 堀切 その1
- 堀切 その2
- 人工的な木組み
処どころにある虎御前山城の遺構を見ながら登山道を歩いていると、前方の木立の向こうに人工的な木組みが見えてきました。

復元された礎石建物
近づいてみると、何かよく判らないものが、石の上に建てられていました。
すぐ横の解説板によると、当時あった建物の下部の木組みだけを、他所(よそ)の城跡で発掘された礎石の上に復元してあるそうです。
礎石建物の半分はベンチに
- 登山道側はベンチに
- 奥には竹生島
ただそれだけでは面白みがないので、礎石建物の登山道側はベンチとして使えるように、床板が張られていました。
しかし地面に置かれている礎石が平たくないので、何だか不安定そうに見えます。
壊すと怖いので、座るのを躊躇(ためら)ってしまいました。
礎石建物の横を通って奥へ行き、遠くの景色を眺めていると、高時川の向こうに琵琶湖に浮かぶ竹生島が見えました。
段々になった、堀秀政陣地跡
- 二段になった曲輪跡
- 堀秀政陣地跡
- 段々に下っていく曲輪跡
礎石建物のすぐ隣には、堀秀政陣地が置かれた曲輪(くるわ)の跡があります。
周囲には腰曲輪が設けられているので段差があって、簡単に登れなくしてありました。
- 犬走り
- 別の登山道
特に説明もないので次へ行こうとしたら、犬走りという細い通り道を見付けました。
気になったので奥へ歩いていくと、ふもとへと続く別の登山道がありました。

堀秀政陣地跡の下
案内板の地形図を見ると、その場所には虎口らしきものが描かれています。
もしかするとその登山道は、いざと言うときの逃げ道だったのかも知れません。
さらに虎御前山を歩いていきます。

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