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【岐阜】海津市南濃町の月見の森を巡って その4 (さえずりの小径から山の灯台へ篇)

超低山登山
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岐阜県海津市南濃町(かいづし なんのうちょう)には、月見の森があります。
山の斜面に、いくつもの広場とそれらをつなぐ道が整備されており、自由に散策できるようになっています。

すぐそばにある道の駅「月見の里南濃」には、何度か訪れたことがあるのですけどね。
月見の森には行ったことがないので、ぐるっと散策してきました。

月見の森案内図
月見の森案内図

交流の森さえずりの小径との分岐点から、地図にない山道を登り始めたあとは、田代越の途中まで尾根筋を登って、元の場所まで下りてきました。

荒々しい、さえずりの小径

さて月見の森まで下りてきたので、今度はさえずりの小径を歩いてみることにしました。
初めのうちは木の柵が設置されていますが、しばらくすると無くなります。

歌う小鳥のペア

あたりは野鳥の森と名付けられているので、暖かければ野鳥のさえずりが聞こえてくるのでしょう。
ただ冬場なので、聞こえるのは自分の歩く足音だけです。

行基の森と名付けられたあたりからは、延々と坂道を下っていきました。
谷あいに設置されている砂防ダムは、まもなく土砂に埋まってしまいそうな様子です。

見る角度が大事な、鹿児島県のモニュメント

ということで今度は、いくつも連なっている砂防ダム群の下の分岐点まで下りてきました。
ここからは友好のかけはしを渡るために、交流の森の方へ登っていきます。

交流の森へと続く坂道の分岐点からは、山の灯台方面へ下りていきました。
交流の森まではあとすこし、十五夜の丘も気になりますが、今回は行かないことに。

坂道を下った先には、金属で作られた鹿児島県のモニュメントが立てられていました。
見る角度を変えると、薩摩島津氏の家紋である「丸に十文字」が出来上がります。

江戸時代に行われた薩摩藩の宝暦治水工事で、木曽三川の周辺住民は恩恵を受けました。
かつての木曽三川(揖斐川、長良川、木曽川)は川が入り乱れ、たびたび洪水が起きていたのです。

朱塗りの太鼓橋、友好のかけはし

鹿児島県のモニュメントから丸太階段を下りていくと、朱塗りの友好のかけはしに差し掛かりました。
木造の太鼓橋ですが、反り具合が緩やかなので歩きにくさはありません。

友好のかけはしから下りてくると、「月見街道」と名付けられた舗装道路に出ました。
山の灯台は、月見街道を下っていった先にあるようです。

月見をする家族

ちなみに月見街道の途中には青いベンチがあって、その脇からは湧水が流れ落ちていました。
水質についての立て札はありませんが、殺菌されていないので、飲まない方が良さそうです。

赤く塗られた、山の灯台

さてしばらく月見街道を下っていると、南濃温泉「水晶の湯」の建物が現れました。
現在(2021年01月11日)は休業中だそうですが、再開を目指して準備しているようです。

水晶の湯から、さらに下っていくと月見の森の石碑があって、道路の反対側には山の灯台がありました。
灯台というだけあって、夜になると二階の窓に明かりが灯(とも)るのでしょう。

下半分が赤く塗られているので、遠く離れたおいしい森からでもよく見えました。

さらに月見の森を歩いていきます。

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