滋賀県長浜市木之本町(ながはまし きのもとちょう)には、有漏神社(うろ じんじゃ)があります。
以前、賤ヶ岳(しずがたけ)から山本山まで尾根伝いに歩いたとき、その存在を知りました。
久しぶりにそのことを思い出したので、あらためて有漏神社にお参りしてきました。
帰り道は、尾根筋から磯野山城跡方面へ歩いています。

西野水道から、西野山を越えて、琵琶湖ほとりの阿曽津千軒集落跡まで下ってきました。
有漏神社社殿にお参りして


さて阿曽津千軒集落跡から琵琶湖のほとりを歩いていると、しだいに浜辺が細くなっていきました。
雑草の刈り取られた道を登って、ふたたび山の中へ入っていきます。


かつては遊歩道が整備されていたようで、道に沿って穴の開いた杭が等間隔に打ち込まれていました。
折角なので、遊歩道跡からも琵琶湖を眺めておきます。


ということで、琵琶湖に突き出た尾根の端っこを越えていくと、有漏神社の社殿が見えてきました。
拝殿の正面に回り込むと、二匹の狛犬が揃ってこちらを見ています。
拝殿は、重い瓦葺き屋根を柱のみで支えているので、せめて筋交いが欲しいところです。
琵琶湖が入り口、有漏神社石鳥居


有漏神社からは、琵琶湖の方へと続く急勾配の坂道を下っていきました。
本当の参道は、石鳥居から社殿までまっすぐに伸びていたのでしょうが、現在は曲がりくねっています。
琵琶湖の参道入り口には、水位が変化しても良いように、石段が設けられていました。
水運業が盛んだったころは、舟で乗り付ける人が多かったのでしょう。

琵琶湖のほとりから神社の方を振り返ると、有露神社の立派な石標が建てられていました。
古びた様子がないので、まだ建てられて間がないのかも知れません。
新坂を登って尾根筋へ


さて有漏神社石鳥居からは、琵琶湖ほとりに広がる森の中を歩いていきました。
かつてはあたりに米蔵が建てられていたそうで、その繁栄を窺(うかが)わせる石垣が遺(のこ)っています。


ということで尾根筋へ戻るため、新坂(しんさか)と呼ばれる山道を登っていきました。
米や切り石などの物資を運ぶため、明治初期に地元の人たちによって通された道なのだそうです。


新坂の途中からも、穏やかな琵琶湖に浮かぶ竹生島と葛籠尾崎が見えました。
長い新坂をようやく登り終えると、賤ヶ岳と山本山とを結ぶ尾根筋にたどり着きます。
西野山頂上


尾根筋にたどり着いたら、とりあえず山本山方面へ歩いていきました。
苔むした倒木が朽ち果てるのを待っているのか、依然として放置されたままになっています。


程なくして、またもや有漏神社への分岐点がありました。
ただ琵琶湖側の下り口が柵で塞がれているので、案内板が間違っているのかも知れません。
ということで、そこからすぐ西野山頂上にたどり着きました。
新たにオレンジ色の山名板が取り付けられたようです。
つぎは、磯野山城跡へ行きます。
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