滋賀県の琵琶湖(びわこ)の北部は、通称「奥琵琶湖」と呼ばれています。
奥琵琶湖の北側は山が多く、半島が2本突き出ているので、東西を行き来するのは大変だったことでしょう。
ということで、葛籠尾崎(つづらおざき)の山田山に登ってきました。
南北に伸びる尾根筋だけは遊歩道が整備されていましたが、あとは踏み跡とアプリを頼りに歩いています。

奥出浜園地から、尾根筋まで登ったあとは、尾根筋を歩いて、奥琵琶湖パークウェイに出ました。
奥琵琶湖パークウェイから遊歩道へ


さて奥琵琶湖パークウェイに沿って歩いていると、森の中へと続く遊歩道が始まりました。
落ち葉の積もった緩やかな坂道を登っていきます。


小山をひとつ越えたところには、山城跡の堀切と土橋のような場所がありました。
ただここまで、山城跡のような遺構は見当たらなかったので、たぶん峠の切通なのでしょう。
地図を見ると、切通を東へ下った湖岸が、比較的広めで緩やかな斜面になっていました。
かつては集落があって、陸路ではこの峠道を行き来していたのかも知れません。
山田山頂上にて


さら遊歩道を歩いていくと、ふたたび道端に杭が打たれていました。
道端には、近江湖の辺の道の案内板も立てられています。


近くに三角点があるはずなので、あたりを見回していると、果たして三角点が見つかりました。
すぐそばの木には、山田山の山名板もくくりつけられています。

実はこのとき山名板を見て、はじめて山の名前を知りました。
山の北側ふもとにある山田集落に、由来していると思われます。
踏み跡をたどってふもとへ


さて山田山頂上から来た道を戻って峠の切通を渡ると、気になるピンク色リボンが結ばれていました。
林業の方の目印だと思われるので、残された踏み跡をたどって尾根を下っていきます。


ところが途中から踏み跡がまばらになって、よく判らなくなってしまいました。
カミナリがゴロゴロと鳴り出したので、急いで斜面を下ってしまうことに。


運よく見つけた山道を歩いていくと、谷川沿いのふもとへと続く道に出られました。
雨に降られる前に、駐車場のある奥出浜園地まで無事に戻れて良かったです。
あとがき
古文書によると葛籠尾崎は、かつて「月出崎」と呼ばれていたそうです。
名前の由来は、半島の付け根にある漁村「月出村」です。
村で奈良の鐘を鋳造して、八田部村まで運ぼうと峠道を登ったとき、月の出たことが村名の由来なのだとか。
本当のところ「月出」は当て字で、葛籠尾崎が琵琶湖に突き出ていることが、由来だと思いますけどね。

ちなみに月出崎は、別名を「十折尾(つづらお)」とも呼ばれたようです。
八田部村と月出村を結ぶ「つづら折り」の峠道が、いつしか半島を表す名前になったのでしょう。
近江国輿地志略. 下(巻49至100) のコマ番号:144/241
国立国会図書館デジタルコレクションより
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