滋賀県彦根市(ひこねし)には山崎山があって、山頂には山崎山城跡があります。
県道2号線を南から彦根へ走っていると、水道貯水タンクが 2つある山なので、ずっと気になっていました。
ということで、山崎山の山崎山城跡に登ってきました。
ついでに延寿禅寺や稲村神社を巡りつつ、荒神山にも登っています。

稲村神社から、荒神山神社まで登ったあとは、日夏山三角点まで来ました。
千手寺へ下って


さて日夏山三角点から下り始めると、大岩を境に急勾配の坂道が始まりました。
岩や根っこが露出しており段差があるので、慎重に下っていきます。


しばらくすると、オリエンテーリングの案内板がある交差点に着きました。
案内板はありませんが、久しぶりに千手寺の方へ行ってみることに。


山道をしばらく下っていくと、千手寺側面にたどり着きました。
ただ側面から境内には立ち入れないので、石垣に沿って山門まで歩いていくことになります。
千手寺墓地を通り抜けて


千手寺山門をくぐって境内へ入ったら、八角堂と鐘つき堂のあいだを通って、墓地へ向かいました。
どこからか水が流れてくるようで、石段や山道が水浸しになっています。


墓地一番奥の一郭を通り抜けて、倒木を乗り越えると、下り坂が始まりました。
ただ廃道寸前で歩きにくいので、林道を通った方が良かったかも知れません。


廃道寸前の道を下り終えたあとは、荒神山神社遥拝殿の方へ下っていきました。
程なく「本坂」と呼ばれる、荒神山神社の表参道に合流します。
荒神山神社遥拝所


さて本坂を下って獣害防止柵の扉を通り抜けると、まもなく荒神山神社遥拝殿の裏手に着きました。
もうすぐ「茅の輪くぐり」の季節のようで、背面に茅の輪が用意されています。


荒神山神社遥拝殿を見ると、珍しく正面の扉が開けられていました。
もしかすると、夏祭りの準備をしているのかも知れません。

最後は山崎山城跡駐車場まで、朝鮮通信使の通った朝鮮人街道(下街道)を歩いていきました。
ちなみに入り口の石標に刻まれた「奥山寺」とは、荒神山神社が建てられる前にあった寺の名前です。
近江国輿地志略. 下(巻49至100) のコマ番号:88/241
国立国会図書館デジタルコレクションより
あとがき
現在、山崎山城跡として公開されているのは、山崎山東部だけです。
上水道の排水池タンクを設置するにあたり、事前に発掘調査したところ、東部だけに遺構が見つかったそうです。
山崎山城は下街道沿いにあって、佐和山城と安土城の中間にある重要拠点だったようです。
ところが下街道が通っていたのは、山城跡の残る山崎山の東側ではなくて、西側ふもとなのでした。

そもそも山崎山は小さな山なのに、山の一部だけに中途半端な山城を築くものでしょうか。
たとえ山城が人為的に壊されていたとしても、何らかの遺構が至るところに残っているはずなのですけどね。
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