滋賀県長浜市木之本町(ながはまし きのもとちょう)にある賤ヶ岳(しずがたけ)に、久しぶりに登ってきました。
今回は JR北陸本線の余呉駅の近くにある江土登山口から、尾根伝いに歩いて賤ヶ岳山頂を目指します。


余呉湖周辺の地図(JR余呉駅の向かいの看板)
まずは余呉湖観光館の駐車場に自動車を停めて、登山道を上り始め、岩崎山を経由して大岩山の頂上付近まで来ました。
首洗いの池は50メートル下

首洗の池の入り口
さて大岩山をすこし下ってくると、「首洗いの池」への分岐点に差し掛かりました。
「首洗いの池」は、この場所からさらに 50メートルほど下った谷あいにあるようです。
賤ヶ岳の戦いのとき、大岩山砦に陣を構えていた羽柴秀吉軍の中川清秀は、柴田勝家軍の佐久間盛政に敗れて亡くなります。
そのとき地元住民が、中川清秀の遺体を谷あいに降ろして、「首洗いの池」でその首を洗い、あたりにあった柴で覆い隠して守ったそうです。
今回は賤ヶ岳山頂に行くことを優先して、「首洗いの池」を見に行くのは諦めました。
羽柴秀吉が最初に陣を置いた、猿が馬場

猿が馬場
最初のうちは優勢だった柴田勝家軍の佐久間盛政ですが、羽柴秀吉軍に退却時刻の猶予を与えているうちに増援部隊が駆けつけてしまい、敵中で孤立して逃げるハメに陥ります。
そのとき羽柴秀吉が陣頭指揮を執るため、最初に陣を置いたのが「猿が馬場」です。
山城には尾根筋の途中に、馬場が設けらることがあります。
ちなみに一番右にあるずんぐりした石碑は、松尾芭蕉の句碑です。
句は漢字で刻まれていますが、ただ単に漢字の音を借りているだけです(表音文字)。
なつくさや つはものどもの ゆめのあと 祖翁
松尾芭蕉が岩手県の平泉で詠んだ句とは、助詞が 1ヶ所だけ違っています。
しばらくは緩やかな登山道が続く
- 賤ヶ岳 1.9キロメートル
- 散らかってます
- たまに上り坂
さてようやく、賤ヶ岳山頂コースの中間地点まで歩いてきました。
あとはめぼしい遺構も無いようなので、ひたすら山頂を目指して登っていくだけです。

眺望ポイント
このあたりの山には雑木もあるのですが、杉の木などが目一杯に植林されています。
あまり眺めは望めないのですが、見通しの良いところを見付けました。
方角と稜線の形から考えると、菅山寺や菅山寺城跡がある呉枯ノ峰(くれこのみね)が見えているようです。
山頂までは、もうひと踏ん張り
- 賤ヶ岳 1.2キロメートル
- 賤ヶ岳 0.9キロメートル
- 倒木の根っこ丸出し
最後の方も比較的なだらかな登山道が続きます。
ただ倒木が転がっていたり、根っこが張り出していたりするので、油断は禁物です。
- まぶしい新緑
- 急な坂道
- 建物の屋根が見える
さて最後の最後で、すこしだけ急な坂道になりますが、もうひと踏ん張りです。
それを登っていき建物の屋根が見え始めたら、賤ヶ岳の山頂は目と鼻の先です。

賤ヶ岳山頂
ということで、よく晴れた賤ヶ岳山頂に到着しました。
展望台はさらに 100メートル先にあるようです。
つぎは賤ヶ岳山頂を見て回ります。

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